黙想と祈りの夕べ通信(357)復刻版を掲載します。2006年7月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(357[-44]2006・7.30発行)復刻版
私は柏木哲夫さんの『生きていく力』を読んで、ホスピスに来る末期癌の方々が人生の最後にどんな問
題で苦しむのかということを、改めて考えさせられました。柏木さんは精神科医ですが、大阪の淀川キリ
スト病院で沢山のホスピスの患者さんを看取った経験から、四つの苦しみを挙げています。それをどのよ
うに取り除いていくかがホスピスでのスタッフの役割でもあるわけです。第一の苦しみは体の痛みです。
ホスピスに入って来られた患者さんに対して、まず第一にすることは痛みがある場合には、その痛みの除
去にあるというのです。痛みの除去の次には、精神的な不安やいらだちを如何に取り除いていくかが第二
の課題だそうです。その次には家族親族の難しい関係だとか、患者さんが現役の勤め人の場合には職業上
の問題などの悩みを如何に解決していくかというのが、第三の課題です。そして第四には、死後どうなる
かという霊的な問題が来るというのです。第四の霊的な問題は、神との縦の関係において祈りにより神か
らの平安を与えられることではないかと、柏木さんは言っています。そこで平安を得ている場合には、比
較的安定した最後を迎えることができるようです。この四つの問題は、ホスピスに入られる方のように、
人生の最後に向かい合わざるを得ない問題であるだけでなく、若い時からの私たちすべてにとっての問題
でもあるように思えました。体の問題、心の問題、社会的な関係の問題、霊的な問題は、若かろうが老い
ていようが、健康であろうが病気であろうが、どんな人であってもそれぞれの問題をどのように考えてい
くかは、大変重要なことではないかと思うのです。しかもこの四つの問題はそれぞれ位相を異にしていま
すが、一人の人間においては全部が関連しているのではないかと思います。
上記の私の発言に続いて一人の方からの発言がありました。昨日と今日裁判の傍聴をしてきた。どちら
も日の丸・君が代の裁判で、地裁では敗訴で現在高裁で審議中のものである。昨日傍聴したのは、卒業式
で胸に日の丸に×印をしたデザインのブラウスを着て、卒業式に出席した教師が、校長の上着を着ろとい
う指示を拒否して解雇されたことに対する、解雇取り消しを求める裁判である。今日のは、音楽教師が君
が代の伴奏を強制されたのを断ったが、無理やり弾かされたことに対する、精神的な賠償を求める裁判で
ある。判決がでたが、原告敗訴で、しかもかかった弁護士費用は訴えた東京都の分も原告負担という内容
だった。この音楽教師には多摩地区の教員組合の支援があるので、個人の負担はそれほどでもないと思
う。学校教育の中に日の丸・君が代が持ち込まれることに抵抗していく人たちがいるということが大切だ
と思う。ただどういう風に抵抗していくかということは、よくよく考えなければならない。ブラウスに日
の丸に×印のデザインを入れて抵抗することがいいのか、他の方法がいいのか。戒告を何回も受けると、
解雇になるので、職員会議でやっていくべきなのか、よく考えてやるべきだろう。この問題は、自由と規
律をどう保っていくのかという課題でもある。現在の保守化している状況の中で、それに対して常におか
しいと表明していくことが必要である。今日の聖書の詩篇35編19節にも「敵が不当に喜ぶことがありませ
んように」とあるように、教育委員会を敵というのはどうかと思うが、国がやるのを何も言わないで見過
ごすことはしてはならない。
また別の方が、靖国神社に合祀されている人の中にはB級戦犯の人もいるのか? そういう人の中に
は、上の人は逃げて、責任を下の人に背負わされたという人もいる。以前に若い少尉の歌を読んだが、涙
なしには読めなかった。