なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(356)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(356)復刻版を掲載します。2006年7月のものです。

 9日の日曜日の朝は、船越教会の庭も外階段も真っ白な雪で覆われていました。教会の玄関の扉も雪で

半分も開けることができませんでした。靴をはいて、積もった雪の中を会堂の建物の裏側にあるスチール

の物置からシャベルを出して、会堂玄関前から階段下の道路まで、歩けるように雪かきをして、礼拝に備

えました。雪かきを終えたとき、少し汗をかいた体が気になりましたが、そのままにして、この日は会衆

は2人で、私と3人で礼拝を守りました。この日は午後2時前に船越教会を出て鶴巻に午後4時前に着き

ました。雪かきで汗をかいたことが気になりましたが、案の定鶴巻に帰るころには、鼻水が少し出るよう

になりました。昨日の月曜日は、一日中鼻水との格闘でした。風邪を引いたようで、今日は2・11で集

会に出席する予定でしたが、急きょ取りやめにしました。この数年は冬場でも風邪ひとつ引かず元気に過

ごしましたが、今回の雪には負けました。船越教会は2面が崖で囲まれ、吹き溜まりで、他よりも雪が積

もったようです。日曜日に帰ってきた鶴巻には、ほとんど雪がありませんでした。


        黙想と祈りの夕べ通信(356[-43]2006・7.23発行)復刻版


 NHKの朝のドラマで、戦時下の画家たちが戦争を鼓舞する絵ではなく、自分たちの描きたい絵を画き、

美術展を開こうとするのを、特高警察が干渉してくるという1940年頃の時代状況が放映されています。言

論や表現行動の自由が権力によって抑圧される社会の恐ろしさを考えさせられますが、段々とそのような

空気が現在の日本社会の中にも強くなってきているように思われます。先日京都で集まりがあり、そこに

岩国のO牧師も来ていました。O牧師はこの岩国市で行われました米軍再編に伴う岩国基地への空母艦載機

受け入れの是非を問う市民投票の呼びかけ人の一人でもあります。ご存知のように岩国では市民投票が行

われ、圧倒的な多数で受け入れ反対の意思が示されました。しかし、その後受け入れ賛成の側からの巻き

返しが策動しているようで、O牧師に対しても売名行為というような中傷があるそうです。そういうO牧師

にとって、権力との闘いだけではなく、同じ教会の仲間の中から足を引っ張られるような言動があると、

本当に辛いし落ち込んでしまうと言っていました。そうだろうなあと思いました。突出した発言や行動を

する者の足を引っ張る力が集団には働くもののようです。そういう中で言うべきことを言い、なすべきこ

とをなしていかなければと、O牧師のお話を聞いていて、強く思わされました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。昨夜ラジオの深夜放送に聞き入ってしま

った。話し手は池田首相の時に40億円の予算をもらって農業に投資し研究した人である。その時借りたお

金は、後にバブルで土地の値段が上がり、土地を売って借金を返して、おつりがきたと言う。その人はス

パルタ農業を推奨していて、有機農業のようにふわふわの土壌で栄養をやるのではなく、岩がごつごつし

たような所で野菜を作っている。余計な養分をもつ土だと野菜の根が疲れて、野菜は苦みをもってしま

う。岩場のような土壌で、ほんの少しの液肥料をタイミングよく与えてできた野菜には糖度が普通の4倍

のものができると言う。多弁ではなく、訥々と語るその人のシンプルな語りと、シンプルな農法が結びつ

くように感じた。今日情報過多の中で本当に必要な情報はそれほど多くないように思われる。子どもたち

を考えても沢山のおもちゃやゲームに囲まれているが、豊かな人との繋がりでシンプルにその子の個性が

成長していく気がする。自分自身を考えても沢山の情報に囲まれているが、何を一番大切にするかを考え

直さなければと思わされた。黙想の中でまず神と自分との関係を見つめ直すことが出来た。

 もう一人の方の発言がありました。去る日曜日に転入会式をしていただき、この紅葉坂教会の一員に入

れていただいて感謝である。40数年前高校3年生のときに、教会学校のときから教会に来ていて洗礼を

受けて、教会の一員に加えていただいた。しかし、その時にはそれほど教会の交わりに自分が入ったとい

うことは意識しなかったように思う。しかし今回の転入会は、記念として岩波訳新約聖書をいただき、紅

葉坂教会の100年史や教会規則集などもいただいて、新しく教会に入れていただいたという感慨を深くし

ている。前の教会は50年近くなり、一つの組織との関わりということでは、30年と15年での会社生活

よりも長い。その教会と未受洗者の陪餐をめぐって別れ、当紅葉坂教会に転入させていただくことになっ

た次第である。今教会だよりの自己紹介を考えているところである。