なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(298)

 インフルエンザにかかったり、支援会の通信第18号の発行・発送作業に追われて、しばらくこのブログ

に記事をアップすることができませんでした。またボチボチ継続していきたいと思います。


       船越通信癸横坑検 。横娃隠掲1月29日    北村慈郎

・22日(日)の礼拝後、「日本キリスト教団船越教会宣言」について話し合いました。文案を多少修正

すると共に、この宣言を公にしたときのデメリットが何かあるだろうかということも話し合いました。代

務者のS先生が心配されている、私の教師復帰にこの宣言の公表がどのような影響を与えるかですが、教

団においてはほとんど無視されるのではないか。むしろ何かリアクションがあれば、それが対話のきっか

けなるのではないかということで、とにかく私の戒規免職処分についての船越教会の姿勢をこの宣言で明

らかにすることが大事ではないかというところに落ち着いたのではないかと思います。その後の役員会で

も、多少修正を加えて、文案を完成し、それでS先生にご了解をいただこうということになりました。

・この日お昼は災害用備蓄食の試食もかねてということで昼食会を行いました。ご飯だけは炊きました

が、N子さんが主食がないのではと、お赤飯を差し入れてくださいました。備蓄用の缶詰めをあけたり、

ご飯の上にかけるルーなどで、分かち合って昼食をいただきました。連絡が徹底していなかったのか、中

にはおにぎりやカップ麺を用意してきた方もいましたが、おにぎりは食べていただきましが、カップ麺は

お持ち帰りいただきました。和やかな昼食会でしたが、実際の災害時に備蓄食がどのように用いられるの

かはなってみないと分かりません。地震や豪雨や火災による災害が各地で起きていますので、災害への備

えはできるだけしておきたいものです。

・その後役員会が行われましたが、上記の「宣言」の確認の他に、・会員異動でM・Hさんの教会籍が掛川

ルーテル教会から送られてきましたので、船越教会への転入を承認しました。以前転入しましたM・Rさ

んもまだ転入会式をおこなっていませんので、4月のイースターの礼拝でお二人の転入会式を行うことに

しました。・例年キャンドル・サーヴィスの献金は対外献金にしていますが、今回は農村伝道神学校と寿

地区センターに送ることにしました。役員会を終えて、来週の準備をし、連れ合いの教区性差別問題特別

委員会の発送作業を手伝い、午後4時頃船越教会から鶴巻に向かいました。

・23日(月)は連れ合いが教区の沖縄交流委員会主催の沖縄交流の旅に行くために鶴巻を午前6時には

出るというので、この日私も横須賀に住む紅葉坂教会の信徒の方が召されて、午前9時に横須賀の中央斎

場で火葬するので、その前に10分で送る式をして欲しいと言われていましたので、同時刻に連れ合いと鶴

巻を出ました。羽田飛行場に向かう連れ合いとは横浜で別れ、私は京急で汐入まで行き、タクシーで中央

火葬場に8時半前に着きました。しばらくすると遺族の方が見え、9時に火葬場の告別室で10分ほど式を

し、その後火葬になりました。遺体が窯に入れられ、遺族の方が待合室に向かう時、私も一緒に収骨する

つもりでいましたが、遺族の方からタクシーを呼んであるので、それで帰るように言われましたので、来

たタクシーに乗って帰ってきました。召された方は92歳のH・Yさんで、93歳の夫H・Sさんの連れ合いで

す。H・Yさんは晩年肺がんを患いましたが、召される時は家で静かに息を引き取ったようです。H・Yさ

んは晩年「神などいない」と言われていたようで、夫のH・Sさんは熱心な信仰者ですので、その妻に「そ

んなことを言ってはいけない。神さまはいらっしゃるよ」と言われていたようです。母である・H・Yさん

の葬儀を取り仕切った息子さんは、お母さんが「神などいない」と言っていたので、家族だけで葬るの

で、私に連絡があったときには火葬の日時がすでに決まっていましたので、牧師に来てもらってキリスト

教の葬送式をする必要がないと思われたのではないかと思います。けれども、父であるH・Sさんが私に

仰っていましたが、火葬の前に牧師に祈ってもらいたいと強く希望したので、息子さんもその父の思いを

汲んで私を呼んだのではないかと思います。こういうケースは紅葉坂教会の現役の牧師時代に一度だけあ

りましたが、通常は誰かが召されますと、まず教会(私)に連絡があり、私が教会でいつも頼んでいます

葬儀社に連絡し、私と遺族の方と葬儀社の方で日程を決めて、葬儀の準備をしています。ですから、最初

から牧師である私の都合のつく日を選んでくださっています。今回は既に日程が決まっていましたので、

たまたま23日(月)午前中は私の予定がありませんでしたので伺うことができました。私は、晩年認知症

加わり「神などいない」と言うようになった方でも、洗礼を受けて長い間教会生活をされた方の信仰を疑

いません。けれども、世俗化が進行し無神論的な空気が強い現代の、特に都市日本社会では、キリスト教

の葬送も人によっては何の価値も認められないのかも知れません。今回のことだけでなく、一人の人がそ

の一生を終えて死んだとき、その人を送る喪のあり方はどうあったらよいのか、これも私たちの課題の一

つなのかも知れません。

・25日(水)の午前中新宿のワシントンホテルで四国のT牧師とお会いしてお話をしました。T牧師から昨

年秋に1月24日に東京に行くので私と会って話したいという連絡をいただき、この日T牧師とお会いしてお

話しすることになった次第です。約3時間ほどいろいろとお話しすることができました。初対面の方によ

く言われますが、T先生も私を「穏健な人」に見えたようです。でも「内には熱いものをお持ちなので

しょう」ともおっしゃってくれました。お話ししてみて、先生の牧会姿勢に共感することが多く、同じ方

向に場所は異なっていても共に歩いているという確信を与えられ、うれしく思いました。午後には別の方

と約束があるというので、12時過ぎにお別れしました。

・26日(木)は午後2時15分から神奈川の安保法制違憲訴訟の第一回口頭弁論が横地裁でありましたの

で、私も原告の一人に加わっていますので行きました。前夜私は傍聴券の抽選ではなく法廷に入ってくだ

さいとの連絡を係の人からいただいていましたので、法廷に入ることができました。3人の原告意見陳述

がありましたが、その中の一人は私が紅葉坂教会の牧師時代には私の社会的な発言や行動に批判的でした

K・Kさんでした。国会前の行動にも参加していると連れ合いに聞いてはいましたが、人は変わり得るもの

ですね。