2020-11-13 船越通信(473) 船越通信、№473 2020年11月1日 北村慈郎 ・ 25日(日)は10月の最後の日曜日でしたので、礼拝後残れる人で庭の草取りと、次週(11月1日)の永眠者記念礼拝の準備をしました。永眠者記念礼拝では、講壇の前に召された方々の写真を並べていますので、その準備をしました。今年は2人の方の写真が加わります。W・Tさんと私の連れ合いの写真です。W・Tさんの写真は既にお預かりしていましたが、私の連れ合いの写真は、後日持ってきました。この日は天気も良く、庭の草取りも気持ちよく行えました。30分ほどで終えて、お茶を飲んで散会しました。私はその後、次週の準備とこの週の土曜日に予定しています私の支援会の第8回総会の受付票などの準備をして、船越教会を出たのが午後2時半過ぎでした。途中海老名で買い物をして、鶴巻に着いたのは5時過ぎになりました。晩秋の日没は早く、鶴巻のマンションに入るときには、すでに大分暗くなっていました。 ・ 27日にはメールで大阪のK・S牧師から「31日の支援会総会に出席します」という連絡があり、返信メールで私はお礼と、今年の大阪教区総会で可決された私の戒規撤回教団総会議案を、支援会総会出席者に配るので私の方に送ってくださるように連絡しました。その議案は29日にK・S先生から送られてきて、神奈川教区の総会で可決された教団総会議案と共に印刷して総会資料に加えることにしました。 ・ 以上のように今度の支援会総会で私が引き受けている準備は大体おわりました。印刷は、30日(金)に船越教会の年度報告を県庁に出してから、船越教会に来て済ませました。この日は船越教会に泊まり、土曜日に船越教会から早稲田に行きました。午前10時ちょうど位でしたが、すでにN・Jさんが教会のお掃除に来ていましたので、N・Jさんに挨拶をして出かけました。ちょうど追浜行きのバスがきましたので、ハスで追浜に出て京急で品川まで行き、JR山手線渋谷・新宿回りで高田馬場まで行き、バスで西早稲田で降りると、早稲田奉仕園と教団の事務局のあるキリスト教会館につきました。正午少し前でした。高田馬場の駅中コンビニでおにぎりとお茶を買ってきましたので、今回の支援会総会会場であるスコットホールの前の広場にあるベンチに腰掛けて、おにぎりを食べ始めました。すると午前中早稲田教会(=スコットホール)で結婚式があったようで、数台の自動車で帰る参列者を見送って、花弁が散らばったスコットホールの玄関前の階段や広場の掃除をしている数人の中に早稲田教会の牧師がいました。私はおにぎりをおいて、K・H先生に近づき、挨拶しました。先生は午後の支援会総会には出席しますと言ってくださいました。掃除をしていた方々も去っていき、比較的暖かな日差しの中でベンチに一人座っておにぎりをいただきました。美味しかったです。しばらくすると荻窪教会のK・M牧師が来て、二人でベンチに座って雑談をしていました。そのうち12時30分集合の事務局の方々が次々に到着しました。紅葉坂教会のメンバーで事務局の一端を担っていてくれますK・Kさんと一緒に紅葉坂教会の信徒夫婦も到着しました。続いて支援会世話人代表の関田寛雄先生、大阪からK・S牧師も到着しました。総会会場のスコットホールには12時50分に鍵をもらい入れるようになりました。何時も支援会総会は紅葉坂教会で開いていますので、紅葉坂教会や船越教会のメンバーも多く出席してくださいますが、今回はコロナウイリス感染の問題もあり、会場も東京ということもあって参加者が少ないのでは、せいぜい30人位の出席ではと思っていました。ところが会場に人が入り始めてしばらくすると、30人を越える勢いで総会資料が置かれた一つ置きの椅子に出席者がうまっていくではありませんか。最終的には57人の出席者がありました。船越教会からも6人の方が出席してくれました。ありがとうございました。 ・ 午後1時30分から始まった総会では、最初に何時ものように世話人代表の関田寛雄先生の挨拶がありました。先生は最初にバルトの教会教義学をはじめ膨大な著書のエッセンスであると、バルト自らが言ったという讃美歌「主われを愛す」を一緒に歌いましょう言われ、出席者一同で「主われを愛す」の一節を歌いました。その上で教団の犯した三つの罪として、①戦時下の6部・9部のホーリネン教会牧師の切り捨て、②沖縄教区の切り捨て、そして③として私の免職処分と言われました。①②は国家に対峙できないで犯した過ちに対して、私の免職処分は、国家の圧力とは全く関係なく、教団が自ら犯したもので、それだけに教団の罪は重いという主旨のことをお話されました。先生にとって教団はご自身でもありますから、先生が私の免職処分の問題をそのように重く受け取っていてくださるのだと思って、心が熱くなりました。そして次にこの日10月31日は宗教改革の日で、ルターが聖書のみ、信仰義認、万人祭司を主張して宗教改革となったが、特に信仰義認は、私たちの「・・への信仰」というように人間の側の主体性が強調されるが、本来信仰義認は私たちの信仰によって義と認められるというよりも、イエス・キリストによって既に義と認められていることを信じることではないかとおっしゃいました。その上で、この支援会も教団改革をこの日から新たな思いで取り組んでいきたいと言われました。先生の熱い思いをもった挨拶をお聞きして、連れ合いを天に送った後、少し消極的、後ろ向きになっていた私の心に活が入り、元気を与えられました。先生の挨拶の後、総会があり、用意された議事すべてが承認されました。その後K・J先生の講演「あれから13年~今もオープンの者の願い~」がありました。先生が以前牧会されたI教会で「開かれた聖餐」を選んだ、その取り組みについて、丁寧にお話しくださいました。その内容は後日支援会の通信に掲載する予定です。その後質疑応答があって、午後4時終了予定の総会が少し長引いてしまいました。最後に私が挨拶し、「今日の総会で励まされ、健康の許す限り、この問題を取り組んでいきたいと思いますので、今後ともご支援をよろしくお願いいたします」と一言申し上げて、会を終えました。私はバスで高田馬場に出て来たルートを逆に船越教会に帰りました。