なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(242)

 今は大晦日の夜です。もうすぐ2016年です。この1年間私のブログとおつきあいいただき、ありが

とうございました。新しい年もまたよろしくお願いいたしします。


             船越通信癸横苅押 。横娃隠鞠12月27日    

・20日の日曜日はクリスマス礼拝でした。今は大学2年生ですが、彼が横須賀学院の高校3年生の時に、寿の

炊き出しや船越教会の路上生活者のパトロール(シャワーの会)に参加したことのあるI君が、久しぶりに礼

拝に出席しました。元気に大学生活を過ごしているようでうれしく思いました。彼の他に去年のクリスマス礼

拝にも出席した一組のご夫婦が、今年も出席しました。礼拝後昼食会があり、食卓を囲んで親しく歓談の時

を過ごしました。

・私は、19日の土曜日に鶴巻に届いたコイノーニアの3校校正があり、この日鶴巻に帰りました。ところが、

その原稿を見ますと、レイアウトが大変混乱していて、これでは校正ができず、出版社に連絡し3校やり直し

原稿を送ってもらいました。それが届いたのが22日(火)の午前中でした。一部をコピーしてコイノーニ

編集委員の一人に送りました。その編集委員に届くのが23日(水)午前中ということでした。私の校正

とその編集委員の方の校正を総合して、校正原稿を作っていますので、24日(木)のキャンドル・サーヴィ

スがありますので、どんなに頑張っても25日(金)に3校校正原稿を出版社に送ることになると判断し、そ

のように段取りを立てました。24日の船越教会のキャンドル・サーヴィスと祝会を終えて、その夜鶴巻に

帰って、25日に鶴巻で校正をまとめるつもりで、祝会後の後片付けを終えて、船越教会を出て、京急田浦

から電車に乗りましたが、途中で海老名小田急小田原線の終電に間に合わないことが分かり、船越教会に引

き返してきました。25日は船越でコイノーニア3校校正を仕上げて、出版社に宅急便で送りました。もう一

度くらい校正が必要かもしれませんが、これで大体新教コニノーニア31『戒規か対話か 聖餐をめぐる日

本基督教団への問いかけ』の本体部分は完成したことになります。後は表紙のデザインですが、これは来年

に入ってからになると思います。いずれにしろ来年1月25日出版には間に合うと思われます。支援者の方に

可能な限り送るようにしたいと思っていますが、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。

・23日(水)の午後には、牧師になって私が最初に赴任した東京の足立区にある足立梅田教会でお別れ会

があり出席しました。足立梅田教会でのお別れ会には、10月25日に私が、11月8日には連れ合いが出

席しており、この2か月間に3人の方のお別れ会がありました。10月の時には今回の方のお連れ合いでし

たので、私はそのご夫妻のお別れ会に出席したことになります。このご夫妻は戦後足立区本木町にあり、今

はなくなっていますが愛恵学園というミッションの施設で行われていた青年部に所属し、その青年部からの

人が母体となって出来た足立梅田教会にも連なるようになりました。実はその青年部のリーダーの一人とし

て神学生時代の國安敬二先生がいました。25日のお別れ会には國安先生も出席していました。國安先生の

お連れ合いが愛恵学園の職員で青年部のリーダーだったようで、足立上田教会の設立には國安先生ご夫妻が

深く関わっていたのです。お二人とも当時浅野順一先生が牧師をしていた渋谷の美竹教会に所属していまし

たので、その美竹教会の副牧師で青山学院の中高の宗教主任をしていた藤村靖一先生が、自宅を現在の足立

梅田教会の場所に建て、そこが足立梅田教会となったのです。25日にお別れ会の後、國安先生と東武梅島

駅前のパン屋さんでお茶を飲んだ時に、先生は藤村靖一先生がしなければ、ご自分が愛恵学園の青年部の人

たちと開拓伝道をしようと思っていたとおっしゃっていました。私が神学校を出たてで27歳の時、藤村靖一

先生が青山学院と教会の兼任ができないというので、私を招いてくださり、私は足立梅田教会の牧師になり、

1969年4月から1977年3月までの5年間足立梅田教会で働きました。その頃は、今回お別れ会に出

た3人を初め愛恵学園青年部出身の足立梅田教会メンバーは皆壮年期にあって、教会の中心メンバーとして

活躍していました。その方々が一人ひとり召されていき、今残っている方はわずかになってしまいました。

私が足立梅田教会に行くきっかけとなった、友人と二人でひと夏「バタヤさん」(廃品回収で生活をしてい

た人)の生活を体験しようと、藤村先生にお願いして足立梅田教会で神学生の夏期実習をさせていただいた

ときに、夏の一か月間一部屋を提供してくれた信徒の方は今も健在で、今回のお別れ会でも弔辞を述べてい

ました。それにしても、足立梅田教会を辞してから46年にもなるのに、足立梅田教会の会員のお別れ会に

出席できるということは、主に在る交わりを想い起すことができて、私にとってもうれしいことです。

・24日(金)は昼過ぎに船越教会に来て、まずキャンドル・サーヴィスのプログラム冊子を準備しました。

私の準備はそれだけで、午後3時過ぎから祝会に出す食べ物をそれぞれの家から持って来る方、船越教会の台

所でつくる方が集まってきました。Sさんも奏楽の練習と、集会が夜ですので、出席者のために外の明かり

を用意したりしてくれました。何と言っても船越教会にとっては、キャンドル・サーヴィスといおうか、そ

の後に行われる祝会は一年間の最大のイベントになっています。私の神学校時代の同級生で友人でもある木

村武志牧師の時代には、劇を演じたり、市民運動の仲間たちも大勢参加して、祝会が宴会となって夜中まで

続いたそうですから。私が船越教会の牧師になって今年は5回目のクリスマスになりますが、さすがに木村

牧師時代とは違って、祝会が夜中まで続くことはありません。今年も午後9時半過ぎには終わりました。キャ

ンドル・サーヴィスでのお話は、今年は戦後70年、安倍政権の暴走によって、安全保障法案(戦争法案)が

成立し憲法9条の歯止めを失って、日本の国は戦争のできる国に変わりました。その年のクリスマスです。

「暗闇の中に輝く光」という説教題を掲げ、ヨハネによる福音書1章1-5節とマタイによる福音書4章16節に

基づいて、イエスが何故に「暗闇の中に輝く光」であるのかについてお話ししました。祝会の時に今回初め

て参加した方からは、「良いお話」と言ってくださいましたが、毎年参加する幼い子供からは、先生の話は

「長い」と叱られてしまいました。キャンドル・サーヴィスと祝会には、総勢37名の方々が出席しました。

礼拝と祝会のひと時、この時代の厳しさを思いつつ、主イエスの降誕を覚えてクリスマスを祝うことができ

ました。感謝です。新しい年も希望をもって迎えたいと思います。