なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(355)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(355)復刻版を掲載します。2006年7月のものです。

       黙想と祈りの夕べ通信(355[-42]2006・7.16発行)復刻版

 今日の聖書朗読、ルカ福音書6章41節以下「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自

分の目の中にある丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あ

なたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。・・・・」は、他者との関係

において大変大切なことを教えているように思います。名古屋時代に「隣人の発見・出会い・変容・共生

(共労)」という関係の中でお互いに変わり合い、共に生きていく道を、私はイエスの福音における交わ

りの回復の具体的な在り様として考えてきました。しかしながら言葉で言うほどには、このような人間関

係の豊かさを具体的な人間関係において生きることは難しくあります。特に昨日開催された現在の教団の

常議員会では、最初から変わり合う相手として見ていないという空気が執行部とその取り巻きの人たちに

は強いのです。自分たちの立場と権益を守るために、議論による深まりは最初から切り捨てて、数の暴力

がまかり通るのです。神奈川教区の常置委員会もそうです。内容が希薄でただ形を整えていくだけの会議

は大変疲れます。そういう疲れを覚えていただけに、私は丸太とおが屑のイエスの比喩に強く共感したの

かも知れません。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。北朝鮮がミサイルの開発研究をしている

と言う。防衛問題との絡みで、また戦力を保持しないという日本の平和憲法が危機に瀕しようとしてい

る。しかし、私は以下の三つの理由で戦力を保持しないでも日本の防衛はできると思っている。〆2鵑

北朝鮮のミサイル発射実験においても諸外国の反応が早い。ロシア、フランスなど。日本が非武装中立

も日本の防衛ができるのではないか。私自身は前々から日本の防衛は非武装中立で、外交関係を通じて日

本の安全を考えていく立場である。日本の国の中に先制攻撃をして叩いてしまえという意見が出て来て

いる。日本が軍備をもったら、どういうことになるか危惧している。過去に朝鮮半島に対して口を出し、

手を出してきたのと同じことをするのではないか。だから軍備をもたないことがよい。8什澆任話羚颪

存在が大きい。かつて戦前に日本が侵略した頃の中国とは全く違う。中国の存在が日本の戦争行為を抑止

する。今日の聖書箇所も非暴力不服従を語っている。少数派であるが、非暴力非武装中立が私の立場であ

る。

 また別の人からの発言がありました。私は今日の聖書を読んで、自分の中の丸太に気づかずに、自分の

中に丸太があることも忘れているように思えてならない。他の人から私自身の丸太が指摘されて、それに

素直に気づけるか難しいのではないか。今日教区の婦人集会があった。講演者のTさんは、子どもは大人

のパートナーであるとおっしゃった。Tさんは虐待の子どものシェルターを運営している「カリヨン子ど

もセンター」の仕事に携わっていて、臨場感ある子どもたちの具体例を話された。ご自分が子育てのとき

のことも、自分の気分で子どもをしかったことなど素直に話して下さった。子どもは大人のパートナーと

いうことで、自分の子どもとの関係を築こうとされている。私も今娘と一緒に生活していて、その娘に今

になって小さなとき母である私の言葉によってどれだけ傷ついたかと言われ、責められる気持ちになるこ

とがある。自分としては、パートナーとして夫とも子どもとも、ボランティアとして関わりを持っている

障がい者の方とも、対等な関わりを築くことを一生の課題としている。持てる者が弱い人を上下の関係で

見る。男女、夫婦、親子、健常者と障がい者もすべてに通じると思う。自分自身の中にどうしようもなく

持ってしまっている大人だから、女だからという縛りから対等になれたら解放されると、頭では考えられ

るが、実際の他者との関係においては一生の課題である。今日も集会の帰りに、牧師夫人って大変でしょ

う。いろいろな集会によくでられるわねと言われ、牧師夫人というレッテルについて説明する。お互いの

チリを取り合える関係になれればいいなーと、夢のようなことを考えていた。

 もうひとりの方から発言がありました。77歳の誕生日を迎えた。昨日が朗読の会の勉強会で、10月

に発表会があることが決まっていて、その計画を話し合うときとなった。発表会で読む作品を通し話が進

んで行った。先生から聞かれ、17人の集まりで自分がクリスチャンであることを証することができた。

最後に自分の誕生日のために合唱をしてくれた。一人の方からいつまでも会の中心にてなってね、と言葉

をかけられた。北村先生からも祝福の便りをもらい、子どもたちも心温まるときを持ってくれ、今日一日

の恵まれた陽を感謝している。一番身近なところから出発して、それを温かく広げていけるようにと、余

生を大切にしていきたい。