なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(562)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(562)復刻版を掲載します。2010年7月のものです。

 
         黙想と祈りの夕べ通信(561)[Ⅺ-39]2010・7・4発行)復刻版

 この一週間は教区総会(26日)、沖縄から基地撤去を求め、教団合同のとらえなおしをすすめる連絡会

第3回全国総会(27日ー28日)、横浜地区牧師会(29日)と、いろいろな集会がありました。それぞれ感じ

ることも多くありますが、別のことを一つだけお話ししたいと思います。たまたま数日前に「奄美大島

教自立協議会」からお手紙をいただきました。その中に同協議会発行の機関紙「結い」が入っていました。

その結いの中に東京神学大学学長の近藤勝彦さんの「思い出の奄美」という文章がありました。27,8年前

に一度だけ奄美地区の教会合同修養会に講師としていった時の奄美の思い出が綴られたものです。彼の文

章を読んで、キリスト者の兄弟姉妹の交わりを特別視している感じを強く受けました。彼の文章の最後は

下記のように閉じられています。「短い時間ではありますが、主にある兄弟姉妹との信仰の交わりを与え

られ、・・・・・奄美再訪の機会が与えられたら、是非また、主にある兄弟姉妹、天に本国を持つもの同士の

主にある交わりを経験し、教会生活と伝道を励まし、・・・・」。私はこれを読みながら、キリスト者の交わ

りについの考え方が随分違うと思いました。私はキリスト者の交わりを、洗礼を受けた者に限定しては考

えておりません。直接的な交わりはなくとも、さまざまな痛みを持ち、差別され、この社会の周縁に追い

やられている人々を大切にされたイエスのことを思うと、キリスト者の交わりはすべての人に開かれたも

ののように思えてなりません。確かにパウロは、その腹を神とし、この世のことしか考えない人々とは違

って、キリスト者の本国は天にあると言っています。けれどもその天を本国とする兄弟姉妹の交わりを、

パウロはそうでない人々と区切って特別視していたのでしょうか。そのようには思えないのですが。名古

屋時代にカトリック南山大学にある神言神学院でMさんの講義を聴講した時に、Mさんは聴講生のカトリ

ックのシスターを前にして、天国が神父とシスターのような人たちだけなら、退屈で自分は天国には行き

たくないね、と言われました。天の本国に属しているのは、キリスト者だけなのでしょうか。私は万人救

済説に近いので、そうは思いません。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。先週教団で新任教師オリエンテーション

あった。その後教区総会、求めすすめる連絡会全国総会と私も出たが、会の全体の雰囲気が教団の新任教

オリエンテーションとは随分違う。少なくとも教区総会でも、求めすすめる連絡会の全国総会でも、対

等な関係を前提としてそれぞれ自由な発言をしている。特に求めすすめる連絡会全国総会ではそうである。

しかし、教団新任教師オリエンテーションでは、そういう発言は出にくい雰囲気で、自分の聞き間違いか

もしれないが、「信徒を訓練して大人にする」というような、上目線の発言が多い。先程の聖書箇所にあ

る「あなたがたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、自分の目の中にある丸太に気づかないのか」

(ルカ6:41)のように、自分への刃を忘れないようにしたい。
 

              「父の涙」       7月4日


 放蕩息子の物語に出て来る父親は、大変苦しみました。下の息子が落胆し、人々からは嫌われ、酷い目に

遭うようになることを知りながらも、父親は彼が去って行くのを見送ったのでした。父親はまた、年上の息

子が怒りによって憎悪を深めるのを目の当たりにしました。父の差し出す愛情と支えとを年上の息子は受け

取ることが出来ませんでした。父親の人生の大部分は、待つことに費やされました。父親には、むりやり弟

の方を家に連れ戻すことも、兄に怒りを手放すように強制することも出来ませんでした。二人の意志によっ

てしか帰宅は実現しなかったのです。

 このように長い年月待っている間に、父はたくさんの涙を流し、何度も死にました。苦しみで、父親は空

っぽになってしまいました。しかし、そうして空っぽになってしまったことで、二人の息子が戻ることにな

った時、息子たちを迎える場所を作ることが出来たのです。私たちは、そのような父親となるように呼びか

けられています。


                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)