なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(397)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(397)復刻版を掲載します。2007年5月のものです。


       黙想と祈りの夕べ通信(397[-32]2007・5・6発行)復刻版


 朝日新聞4月28日の経済欄に、「経済格差の拡大やそれに関連するさまざまな問題を、日本社会がどう

受け止め、どう対応していくべきか」というテーマで、文芸評論家・詩人の吉本隆明氏へのインタビュー

が載っていました。紹介します。

 ―格差問題をどうみますか。「日本の社会が米国型に転換する速度がここ数年、極めて速くなっ

た。・・・・・自分たちは中流だと思っていた層、『中の下』の人たちが、生活基盤が危うくなって下に落

ち、あわて始めている」。
 
 ―中流層崩壊の意味は。「資本主義の経済や社会の安定は、中流階層の安定度に依存する。米国は人種

も貧富の状況も多種多様で、不安定な経済だ。安定した力があるように見えるのは、究極的には圧倒的な

軍事力があるからだ。日本は、分厚い中流層が社会の安定力として機能している面があるから、日本の資

本主義がおかしくなる時は、必ずそこから崩れていく」。

 ー社会情勢への影響は。「中流層が動揺したり細ったりすると、社会が私益の追求に走りがちになる。

後進的な地域では、それが閉じたナショナリズムになる。日本の場合はまだ民主主義の理念がおかしくな

るくらいだが、希望のない若い人に答えを出さないと、社会が不安定になる。昔は戦争になったが、いま

は個人の次元でいじめが起きたり、子どもが親を殺したり、ホームレスを襲ったりと、考えられなかった

個人犯罪が増えている。不安定になり始めている兆候かもしれない」。

 ―健全な中流層を維持するにはどうしたらいいでしょうか。「・・・・・つまり身近な所から、手近なこと

から平等を実現するということをやればいい。自分だけが豊かになっても、しょうがない。中流の『中』

以下が富まないと自分が富んだことにはならない、ということをし続ければいい。私も友達のなかで文学

とか雑誌を出したいというのがいた時には、出せるだけのお金は出して手助けしてきた。そんなことから

始めればいい」。
 
 ―以前は家族、地域、会社に共同体的な支え合いがありました。「市場経済が発達するとどうしてもこ

うなる。労働組合一つみても、派遣など『中』以下の労働者をどこまで支援できてきたのか。となりや同

じ職場にそういう人がいて、黙っているのがいちばんいけない。まずはとなりの人について、自分が同じ

ようだったらどうだろうか、と考えないといけない。一人ひとりが孤立し、家族も地域もバラバラという

のは米国型社会、資本主義の良くないところも全部まねしたからだ」。
 
 ―どう変えたらいいですか。「まず親が考えを変える。家父長的な親子関係がいいというのではなく、

たとえばいじめがあった時は、どう考え、どう行動すればいいかを子どもに教えることだ。親が家庭や社

会できちんと共同生活できていれば、子どもはそれを見て社会や他者とのあるべき関係を学ぶのだ」。

―日本社会はこれからどういう方向に行くのでしょうか。「いまは、どこをまねしたら道が開けるという

ものではない。自分で考えることだ。おまえはどう考えているんだ、と問いを突きつけれている状況だ。

自分は、頼りにならない、ろくでもない政党しかないと思っているから社会や文化の革命はどうしたらで

きるかを考えているが、日本はまだしばらく、でれでれとしながら行くんだろうと思う。強制力がある政

治になればまだ別なのだろうが、政治が変に強制力を持っても良い社会になるかどうかはわからない。人

が大人になっていくように、他人や弱者のことを考えられる、身近な平等が確保される、そういう成熟し

た資本主義になっていけば、まだましということかもしれない」。
 
 【身近な平等から始めよう】。82歳の吉本の提言です。参考までに。



         「隠して持っておこうとする誘惑」   5月6日


 私たち恐れを持つ人は、固定化した考え方をしがちです。そういう考え方に支配されていると、私たち

は次のようなことを言ってしまいます。「食べ物がみんなに十分あるわけじゃないから、いざという時の

ために自分用に貯えておこう」とか「みんなが十分に享受出来る知識はない、だから私の知識は自分だけ

にとっておこう。そうすれば誰もそれを勝手に使えない」。あるいは「みんなに与えられるほど愛が十分

にあるわけじゃない。だから私の友だちは自分だけのためにとっておこう。誰も彼らを私から奪えないよ

うに」と。これは欠乏を基準とした考え方です。つまり、自分たちが生き延びるには十分にないという恐

れから、持っているものは何でも隠しておきたくなるのです。しかしながら悲惨なことに、私たちがしが

みついて離さずにいるものは、私たちの手の中で朽ち果ててしまいます。

    
                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)