なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(398)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(398)復刻版を掲載します。

 今日は船越で、新しいパソコンに戸惑って、この掲載が遅れてしまいました。ナウエンの文章も見つか

りませんので省略します。


         黙想と祈りの夕べ通信(398[-33]2007・5・13発行)復刻版


 昨日神奈川教区の常置委員会があり、新任教師と准允志願者の面接がありました。その中で一人の新任

教師が所信表明で、「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)には

福音がないという発言をしました。戦責告白は、教団成立やそれに続く戦時下に日本基督教団として戦争

を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めたという罪責を悔い改め、主イエスとアジアの諸教会に赦

しを願ったものです。それはイエスの福音に立つべき教会が犯した過ちへの懺悔であり、戦責告白をする

ことによって日本基督教団という教会が改めてイエスの福音への信従を表明したものです。戦責告白に福

音がないと言うなら、どこに福音があるというのでしょうか。その方はもう一つ重要な発言をしました。

それは自分の牧会経験における人からの脅迫に警察を頼んだということと東神大の機動隊導入を同じもの

として是認した言い方をされたことです。その方は質問に対しても自己防御の姿勢が強く、話し合いにな

りませんでした。これが教団の現実ですが、対話の難しさを改めて思わされました。相反するとしか思え

ないこの距離をどのように繋いでいけるのか、考えさせられてしまいました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。今一人の新任教師の話があったが、私もそ

の常置委員会に出ていた。その方は、教授会が機動隊を呼ばなければならないように学生がおとしめた、

と言われた。その人は恐喝を受けて警察を呼んだというが、その前に電話での対応がどうだっただろうか

疑問である。私も性差別特別委員会の委員長として常置委員会に陪席しているので、新任教師や准允志願

者の面接では、今までの委員長と同じように性差別問題委員会として言うべきことを考えて出ていたが、

何も言えなかった。昨夜から今朝まで、自分が国会前での座り込みで経験している市民の側にではなく国

家権力の側に立って私たち市民を監視している警察の実態を含めて、その教師にどう伝えたらいいのか考

えて余り眠れなかった。イエスの十字架を考えると、その方との関わりを今後どうしていくのか、私自身

の課題である。

 続いて別の方の発言がありました。不平等な関係の間に立つとき、力の弱い側に立ちたいと思っていま

す(わたしもいじめられっ子でした)。弱い側は、たくさんの困難を抱えさせられています。しかし悩む

のは、弱い側にも問題がある点です。解決に向かう可能性がある場合でもそれを選択せず、自分自身を窮

地に追い込んでしまっているように思うこともあります。本人の希望、意志に寄り添うことしかできませ

んが、間に立ってできることはないのかと悩みます。時間のかかることだとも思います。今日の聖書(マ

タイによる福音書11章25-30節)で「柔和と謙遜」という箇所がありましたが、閉じている心を開いた

り、関係性をつないでいくのに必要だなあと思いました。