なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(160)

            船越通信癸隠僑亜 。横娃隠看5月18日               

・11日の日曜日は、礼拝後昼食会があり、説教についての話し合いがありました。昼食会は、ブラジルで

生活されたことのあるNさんが、ブラジル料理の一つで、カレーライスのように煮豆をご飯にかける、その煮

豆(フェイジョン)を家で作ってきてくださいました。それとHさんが作られサラダ風野菜料理をみんなでい

ただきました。豆はインターネットでブラジルから取り寄せたものだそうです。食事をしながら説教につい

ての話し合いをしましたが、今回はその日の説教で引用した野口三千三とその著書『原初生命体としての人

間』という本に話題が集中しました。野口三千三は野口体操という独特なからだ理論で、知る人には大変影

響力のあった人ですが、Iさんはかつて野口体操の指導を受けたことがあるそうです。私が説教で紹介した

のは、野口三千三さんの体操理論です。環境世界の中で生きている私たち人間は、外部世界、それが自然現

象であれ、社会現象であれ、自分の外からの刺激にどうしても自分を守るために体を固くし緊張して生活し

ています。そのために体が固いだけでなく、同時に精神も固くなって、のびやかな自由さを失っている状態

ではないかと思います。特に現代文明には、そのような人間抑圧が強いのではという問題意識が野口三千三

さんにはあるのではないかと思います。

・説教で引用した野口さんの語録を以下掲載しておきます。先週の説教は、私のブログ「なんちゃって牧師

の日記」5月17日に掲載しましたので、それをご覧になっている方は重複しますが、お許しください。

・「自然保護ということがしきりに言われているこの頃であるが、自分という『自然の分身』は、いったい

どうなっているのであろうか。からだの中の自然を歪ませていることはないであろうか。自分の外側にばか

り目を奪われて、人間が、造物主であるかのように思い上がり傲慢にふるまっていることはないであろうか。

/人間の創造は、もともと自然の範囲内で行われるべき、ささやかなつつましやかなものではないのだろう

か。たとえそれが、ささなかなつつましやまなものであったとしても、そのものやことと、大事に大事に触

れ合い融け合うことによって、無限の豊かさと新鮮さを生み出す能力があたえられているのではないだろう

か」。「自分の中にある大自然から分け与えられた自然の力により、自分の中にある、大自然から分け与え

られた自然の材料によって、自分という自然の中に、自然としての新しい自分を創造する、そのような営み

を体操と呼ぶ」。「今や、論理・科学という名の巨大な怪物が、分析・数値化という方法によって、いつも

まるごと全体であるべき自然の生きものを、くいあらしていくのではないか。そのような気がして、私は強

い疑惑と恐怖を感ずるのである。原初生命体の発想は、生きものとしての私の、防衛・抵抗反応であろう」。

・説教にこの野口理論を引用したのは、説教テキストである使徒言行録にあった「我々は神の中に生き、動

き、存在する」(17:28)という聖書の言葉と相通じ合うものがあるように思えたからです。Iさんのような

思わぬ反応があってびっくりしました。

・11日の日曜日は4月の教会総会で選出された新役員によるはじめての役員会がありました。書記はMさん、

会計はTさんにお願いしました。教区総会議員もTさん、地区総会議員はHさんにお願いしました。崖のことは

業者からの見積もりが出た段階で考えることにしました。また、船越教会ホームページは既に公開されてい

るようですが、お気に入りではなく、検索回数が多くならないと、検索してもなかなか出てこないそうです。

その点私にはよくわかりませんが、わかる方はどうぞご協力ください。この日の役員会は比較的早く終わり

ました。他の方も台所の片づけをしてくださっており、帰りは一緒になりました。

・12日の月曜日は国会前の辺野古新基地建設反対座り込みへ、先週から預かっていた道具類を届けがてら参

加しました。13日の火曜日は農伝の説教演習と夜は神奈川教区の常置委員会の陪席です。今回から性差別問

題特別委員会は委員長が交代して、連れ合いは常置員会陪席がなくなりました。いつも常置委員会後には有

志で会食して、鶴巻にたどり着くのは日が変わってしまいますが、今回から帰りは私一人になりました。こ

の日も鶴巻に着いたのは12時を過ぎていました。

・最近教団の教会の中には、牧師と信徒の問題が、例えば気に食わない信徒の除名というような形で起きて

いるようです。3月29日の私の裁判支援会でも、ある方が、「牧師の横暴で信徒が心痛んでいる教会がある」

ということをおっしゃっていました。確かに権威主義的な牧師が多くなっているのかも知れません。対話的

な関係を維持しながら、様々な人と関係を持続するのは、今日のようにそれぞれの人が抱えている問題の複

雑さを思うと、確かに難しいと思われます。それだけ牧師としての、信仰的、人間的な成熟が問われます

。その点で、私自身を含めて、一世代前の隠退牧師よりも現役の牧師は幼いままなのかも知れません。さて

この日は聖書研究がありましたが、皆さん都合が悪いとの連絡があり、急遽休会にしました。

・16日の金曜日は夜寿地区活動委員会があり、私も出席しました。今年も寿地区センターの働きをお支え

くださいますようにお願いします。

・18日の日曜日は礼拝後、第2回ビデオを見る会があります。私はこの日神戸栄光教会で開催される兵庫

教区総会に裁判支援のアッピールのために、礼拝後すぐに出かけなければなりませんので、ビデオの会は

失礼させていただきます。