なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(426)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(426)復刻版を掲載します。2007年11月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(426[-08]2007・11・25発行)復刻版

 Uさんの葬儀があり、その際Uさんが医者として自分の体のことを冷静に分析していて、いよいよ最後の時

が来たということを自覚されていたのではないかということをお話しました。月曜日に葬儀式がありまして、

翌日の火曜日に私は隔月に聖書のお話をしているホームに行きました。ホームでは30分ほど聖書のお話をし

て、後の1時間ほど自由な懇談の時を持っています。時々私の方でテーマを出して、それについてのご意見

や感想を参加者のみなさんにお聞きするという形で懇談の時を持つことがあります。今回はUさんのことも

ありましたので、お年寄りの方にはどうかとも思いましたが、率直に「死について」どう思われるかをお聞

きしました。この私の出した問いに、みなさん冷静に受け止めて、それぞれの思いを語ってくれました。

15名くらいの参加者でしたが、1時間で半分の7人の方のお話を聞きました。後の方は次回1月の時に続

きをさせていただくことにしました。一人の方は90歳を過ぎてお元気な方ですが、しばらく前から頭がボ

ーとしているようになり、死という境界を超えて生死が渾然としているような感じだとおっしゃるようにな

りました。私の言葉で言い換えますと、肉体は死ぬが私という人格は死なないのでしょ、とおっしゃいまし

た。だから死はこわくないと。また、ひとりの人は、私は何も考えません。家族もなくたった一人なので何

の心配もなく、このホームの人たちはみんな親切なので、みんなに助けられて生活しています。死もこわく

ありません。また別の人は、若い時に十字架のイエスさまの贖いの信仰を与えられて、ただただ一心に信じ

ていくだけですと。一人の方は、心筋梗塞を経験して死の一歩手前までいって、奇跡的に助かって今がある

ので、出来るだけ長生きして神の喜ばれる生活をしたいと思っていると。また、いつお迎えがきてもいいと

思っています、という人もいました。私はお話を聞いていて、死の恐怖は若い時に感じるものかもしれない

と思わされました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。毎回同じになるが、今日も辺野古基地建設反対

の国会前座り込みに行って来た。一緒に座り込んでいる方の友人が慰安婦の問題に関わって院内集会に来て
、私たちのところに寄ってくれた。その方がカンパをしなければと言って、財布を見たら小銭しかなく、又

“ごめんあさい”と言ってカンパを下さり、院内集会に行かれたが、あったあったと言って、戻ってきて

1000円をカンパしてくれた。友人の話では、その方は生活保護の人よりも収入が少ないということだっ

た。私は福音書レプトン銅貨2枚を賽銭箱に献金した貧しいやもめの話を思い出した(ルカ21:1-4)。今

年のクリスマスに日曜学校で「鳴らない鐘」という劇をする。その劇の中にもこれを想い起こす場面がある。

私は温かな気持ちで座り込みから帰ることができた。国会前で集まったカンパは辺野古に送るが、その役割

を私がしているが、今度辺野古にカンパを送るとき、このような祈りの中にあることを伝え、一緒に歩いて

いきたいと思いました。

 続いて別の方の発言がありありました。聖餐を考える会が去る日曜日にあり行って来た。北村牧師の教師

退任勧告という常議員会決議を取り消してくれという要望の署名活動をすることになった。聖餐については

クローズでもオープンでもどちらもありなのだから、今大事な時に、このことで大騒ぎするのは悲しい。も

っと今やるべきことがあるのではないか。弱者の問題、差別の問題、平和の問題にもっと真剣に取り組まな

ければならないのではないか。今回の問題はそれはそれで降りかかった火の粉を払わなければならないが、

聖餐そのものの問題ではなく、常議員会のやり方に要望を出すのは不毛に思えてしまう。大事なときに、火

の粉をふりかけられたくない。

 続いてもう一人の方から発言がありました。確かに今回のことに心を痛めているし、無駄と思われるエネ

ルギーを費やさなければならないのは残念だが、その中にも光や希望があると思えることもある。このこと

を通して、質問されて聖餐のあり方について話すと、オープン聖餐への気づきをもってもらえる。すでに起

きてしまったことだから、その中にある希望を見出したい。

 続いて他の人から、聖餐の問題ではなく、常議員会のやり方への対応で動くのは悲しいという発言にはひ

っかかるという意見がありました。33回合同後18回教団総会に自費で参加した沖縄教区の方々が、沖縄教区

提案の名称変更議案をはじめ沖縄関連議案のすべてが審議未了廃案、性差別問題特別委員会と靖国天皇

情報センターンの廃止ということで、涙を流しながら総会会場を立ち去り、沖縄教区が「教団とに距離を置

く」ことなったことを思うと、それまで自分にはずっと遠くにあった教団と関わらざるを得なくなった。聖

餐だけでなくどれだけ教団の問題に痛みを感じることか。そういう教団であるということを知れば知るほど、

今までの歴史を振り返り、これからの教団をどうするかを考えていかなければならないという気持ちで一杯

である。 


      「隠された復活」              11月25日

エスの復活は隠された出来事でした。イエスはご自分に反対する者たちをまごつかせたり、勝利宣言をし

たり、ご自分を十字架につけた人々に、結局ご自分のほうが正しかったということを証明するために墓から

復活されたのではありませんでした。イエスは、ご自分を愛し、ご自分に従った人々への神の聖なる愛は、

死よりも強いというしるしとしてよみがえられたのでした。イエスにすべてをささげた女たちや男たちに、

エスはご自分の使命が成し遂げられたことを明らかにされました。そしてイエスの福音をもたらす働き

に加わった人々には、すべての人びとをご自分との新しいいのちに招くようにという聖なる務めを与えら

れました。

 世は気付きませんでした。イエスに名前を呼ばれ、ともにパンを割いて分かち合い、自分たちに語られ

た平和の言葉を聞いた人々だけが起こった出来事に気づいていました。けれども全人類を死の束縛から解

き放ったのは、まさにこの隠れた出来事だったのです。 


                     (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)