なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(428)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(428)復刻版を掲載します。2007年12月のものです。427は個人的な

ことを書いてまあすので、割愛します。


        黙想と祈りの夕べ通信(428[-108]2007・12・9発行)復刻版


 私の教師退任勧告のことで教団有志の会がメーリングリストを作って、連絡し合っています。その中に先

日大阪のI牧師からこのようなメールが寄せられました。

 「エピソード紹介。一昨日かその前の日、山北議長と北米の合同キリスト教会のグローバルミッションの

担当者とクリスチャン教会(ディサイプル)の担当者が会ったそうです。そこで、聖餐のことについてわり

あい激しい議論になったと聞きました。その二人が、日本人のある人に語ったところによると、日本基督教

団は合同教会ではないか、個々の考えを尊重すべきではないか、またアメリカでは聖餐は祝福だから広く分

かち合うようは方向にあるのに、日本基督教団は数十年前の過去に戻ろうとしているのではないかと嘆きな

がら話したそうです。

 私はこれを聞いて、山北さんは、ますます反動的になり、おかしなことをやり始めるだろうと思ったこと

でした。

 海外の教会との連帯を考えるのは飛躍しすぎですが、考えてもいいことかも知れません」(12月6日)。

 このメールを見て、私は、私への教師退任勧告が常議員会で議決された後に、エキュメニカル・ニュース

・インターナショナルの日本担当英文記者のYさんという方からファックスと電話をもらい、インタビューの

依頼を受けました。インタビューの内容は、_跳茲泙任侶于瓩砲弔い董↓同勧告と北村先生の今後の予定

について、この件についての北村先生ご自身のご意見を聞きたいということでした。そこで、私は書いた

ものを送ることにしました。11月の半ばにそれをYさんにメールで送りました。Yさんは私の書いたものから

英文のニュースとして上記の国際的キリスト教メディアに11月21日付けで発信しました。Iさんのメールを見

て、アメリカ人が山北さんと聖餐のことで激しい議論をしたのは、そのアメリカ人がこのニュースを見てい

るからだろうと思い、教団有志の会のメールに英文のニュースを添付して紹介しました。すぐにIさんがそれ

を訳して、その訳文を教団有志の会のメールに載せました。ニュースの表題は「聖餐議論で退任勧告を受け

た日本人牧師」。ニュースの本文は以下の通りです。

 《東京、日本最大のプロテスタント教会牧師は、彼が、もし聖餐において未受洗者の陪餐を認めるのを中

止しなければ、退任するようにとの教団リーダーたちの勧告を拒否することを表明した。

 「私は、勧告を無視あるいは拒否する」と、日本基督教団の北村慈郎牧師は「エキュメニカル・ニュース

・インターナショナル」に語った。

 北村牧師もその一員である教団常議員会は、去る10月に、東京の南に位置する横浜の彼の教会で未受洗者

に配餐するのを中止すべきであるとの声明を決議した。

 にもかかわらず、北村牧師は、教団議長山北宣久牧師が出したこの決議の取り下げを要求する請願書に署

名した2000人以上の人々の支援を受けた。常議員会は、29名出席中16名がこの決議を支持した。

 これは、未受洗者と聖餐を分かち合うのを承認するいかなる教会総会の決定も「教憲教規に違反する決議

となるので無効」との信仰職制委員長岡本知之牧師の答申に従ったものである。

 岡本牧師は、信徒は「陪餐会員および未陪餐会員に分けて登録されなければならない」、そして「陪餐会

員は信仰を告白してバプテスマを領した者、未陪餐会員で堅信礼または信仰告白を了した者をいう」という

ことを取り決めた教規を引用している。

 2007年の教区総会へのメッセージにおいて、山北議長は未受洗者への配餐を認めることは「明白な教憲教

規違反です」と書いていた。

 しかしながら、北村牧師は、「この教団内の他の多くの教会が1970年代以来『オープンな』聖餐を行って

きている」と語った。》

 山北さんは、新しい教団新報で私への教師退任勧告決議の正当性を縷々述べています。しかし、その一つ

一つが山北さんの意見であって、教団の中にある多様な意見の一つに過ぎません。本来議論すべきものを、

自分の立場だけが正当だと主張しているのです。前々から常議員会でも申し上げていますが、教団議長はモ

デレイターであって統理ではないはずなのですが、山北さんは自分が統理だと錯覚しているのです。合同教

会としての教団という教会についての誤解が山北さんにはあるように思えてなりません。


 
      「自然の兄弟姉妹となる」           12月9日


 大洋、山、森、砂漠、木々、植物、太陽、月、星、銀河、これらのものがみな神の創造された物であり、

「神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかれる」(ローマ八:二十一)のを待っているのだと思うと、私

たちは、神の偉大さと、すべてのものを包む神の救いの計画への畏敬の内にたたずむことしか出来ません。

苦しみのさなかで救いを待ち望んでいるのは、私たち人類ばかりではありません。すべての被造物が私たち

と共に苦しみ悶え、完全な自由にあずかるのを待ち望んでいます。

 このように、私たちはこの世のすべての男女の兄弟姉妹であるばかりでなく、私たちをとりまくすべての

ものの兄弟姉妹でもあります。豊かに穂波の揺れる麦畑、雪をかぶった山々、荒れ狂う海、野生の動物、家

畜、巨大な赤杉、小さなひな菊、私たちにはこれらのもの一つひとつを大切に思うことが求められています。

創造されたすべてのものが私たちと共に、神の大きな家族に属しているからです。


                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)