なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(449)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(499)復刻版を掲載します。2008年5月のものです。


         黙想と祈りの夕べ通信(449[-31]2008・5・4発行)復刻版


 今回もまた召天された方のことをお話しすることになります。3週続けて3人の方が帰天しました。昨日召

されたMさんは、今年1月11日に自宅にて病床洗礼を受けられました。教会の礼拝には既に病状が進み、一度

も来られませんでしたが、本人の希望は洗礼を受け、教会で葬儀をしてもらいたいということでした。実は

昨日夕方船越教会の会員のお連れ合いが病院に入院されていて、洗礼を受けたいということで、船越教会の

代務者である私が船越教会の役員、会員数名と共に病院に伺い、その方に洗礼を授けてきました。今年にな

って2人の方に病床洗礼を授けたことになります。38年間牧師をしていますが、今回の2人を加えても病床洗

礼を授けたのは5,6名に過ぎません。今回の船越教会の方は船越教会創立以来のすでに80代後半になっていま

す女性信徒のお連れ合いです。その方ももうすぐ88歳になろうとしている方で、体調を崩し現在入院してい

ます。女性信徒の方は熱心な信仰者で、そのお連れ合いは以前には彼女が熱心に日曜ごとに教会の礼拝に行

くことを、余り快く思っていなかったようです。それが今回彼が入院して、自分から洗礼を受けたいと言わ

れたそうで、彼女もびっくりで、奇蹟に思えるとおっしゃっていました。今回病床洗礼を受けたお二人とも、

それぞれの人生の最後の時期、特に病気と死との向かい合いの中での洗礼でした。不思議な神の導きとしか

言えませんが、私としては、こういうお二人のような形での神との出会いがあることを、改めて知らされた

思いです。時が良くても悪くても、み言葉を宣べ伝えなさいとの聖書の言葉が胸にしみてきます。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。朝までテレビで貧困、格差についての討論

があった。その討論は、自分にはこれほどおぞましいことがあるのかと思えるほどひどいものだった。貧困

格差の是正よりは、権力者、富者の立場から、資本主義だから仕方ないという論調が目立った。日雇い派遣

に対しても、労災など一定期間保障した方がよいという意見に対して、東京モーターショーに雇った人にも

そうしなければならないのかというという反論があったり、それぞれの発言は暴力的であり、言葉の背後に

ある人間性は、金を持つ側が開き直って、それが当然だという感じである。司会者も、同じ言葉の暴力で、

反論を抑える。面白おかしく番組が作られていることで、貧困格差は当然とする洗脳の力が働いているよう

に思えた。

 別の方からの発言がありました。5月3日、4日、5日と憲法9条世界会議が行われる。 27日(日)夕方から

28日(月)昼頃まで、当教会にピース・ウオークの一行30人位の方々が泊った。27日夜には交流会もあった。

一日お休みがあり、今日(30日)日本丸 のところから出発して鶴見、川崎方面へ歩くことになっている。私

は朝日本丸のところからウオークに参加し一時間くらい一緒に歩いてきた。2月に広島を出発して、 ずっと

歩いている人も、途中からの人も、中心になって歩いている人の多くは日本山 妙法寺の僧侶であった。27日

に当教会に入る時にまず外で御経を唱え、28日の朝も階下ホール で40分ほどのお勤めをし、帰る時も外で教

会正面を向いて御経を唱えて帰られた。平和を求める人は祈る人ではないかと思う。建物は教会だが、命を

大切にする平和を求める祈りは、宗教の違いを超 えて共通していると感じた。日本丸には思ったより人が集

まっていた。120~130人の 人が鶴見・川崎方面へ歩いて行った。これだけの方々が平和を求めているのかと

思う と、嬉しくなった。


             「神に到る道しるべ」   5月4日


 神の愛、神の寛大さ、神の優しさ、神の赦し、私たちはこれらをどのようにして知るのでしょうか。両親、

友人、先生、牧師、妻や夫、子どもたちを通じてです。これらの人たちは皆、私たちに神を示してくれます。

しかし、私たちがこれらの人々を知るようになると、その一人ひとりの示してくれているのは神のほんの一

部でしかないことに気づきます。神の愛はこれらの人々の愛よりも大きく、神の善良さはこれらの人々の善

良さよりも大きく、神の美しさはこれらの人々の美しさよりも大きいからです。

 最初、私たちはこれらの人々にがっかりさせられるかもしれません。しばらくの間は、これらの人々が私

たちに必要な愛、善、美しさのすべてを与えてくれると思うことでしょう。けれども次第に、これらの人々

は皆神に到る道の道しるべであることを発見するでしょう。
  

                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)