なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(448)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(448)復刻版を掲載します。2008年4月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(448[-30]2008・4・27発行)復刻版


 先週に続いて今週もKさんの葬儀があり、23日の黙想と祈りの夕べは前夜式でお休みにしました。先週の金

曜日18日の朝6時過ぎにKさんのお孫さんから電話があり、川崎の病院だがKさんが危篤状態になっているとい

うことでした。すぐにその病院に伺いましたところ、確かに深い息をしておりましたが、その時はもちなおし、

9時過ぎには病院を出て、帰ってきました。19日の土曜日の夜にKさんを世話しているお孫さんから電話があり、

医者の処置により少し持ち直したとのことでした。安心していましたら、21日の月曜の10時頃Kさんが亡くな

ったという連絡がありました。葬儀屋さんに手配し、病院にかけつけました。既にKさんは病院の霊安室に移

されていて、ヨハネによる福音書14章1節以下を朗読してお祈りいたしました。しばらくして葬儀屋さんが到

着し、前々からご家族の方々と相談しておいたように、Kさんを病院から直接教会に搬送しました。

 Kさんは5月3日が誕生日ですので、その日が来ると、今年満107歳になりました。ですから、106年11ヶ月と

18日という長寿を全うされたことになります。前夜式の遺族の挨拶の中でお孫に当たる方がおっしゃっていま

したが、Kさんはご両親が早く亡くなったために、長女として学校の教師をしながら3人の弟と妹の面倒を見て、

33歳の時に結婚して5人の子どものいる家庭に入り、子供たちを育てました。そういう意味で、周りの人のた

めに生きられた人生であったと。Kさんは99歳の時から介護ホームに入りました。その前頃から家での生活が

困難になり、私も介護ホームへの入居を何度か勧めたことがありますが、その時は頑として自分は家に最後ま

でいるとおっしゃっておられました。一緒に生活していたMさんのことを考えてのことだったと思います。け

れども、その後しばらくして体調を崩して入院し、お孫さんの勧めもあって介護ホームでの生活になりました。

前夜式にはKさんが入居していた介護ホームで働いておられる方々が沢山いらっしゃいました。ホームで働く

方々は、Kさんから力をもらうことができたとおっしゃっておられたということです。生きることに前向きで、

周りの方々への配慮の心をもって接しておられたKさんは、どちらかと言えば暗く、重くなりがちな介護ホー

ムの雰囲気を明るくすることができたのではないでしょうか。葬儀式が行われた教会の玄関受付には、介護ホ

ームで写された沢山のKさんの写真が、Kさんが最後まで抱えていた癒しのお人形と共に置かれていました。参

列者はその写真をご覧になって、多くの人の世話になりながらも、命を抱えて最後の最後まで生き抜くKさん

という人間の存在に心打たれるものがあったのではないでしょうか。

 Kさんは生前聖書箇所三つ、詩編23編、詩編27編1節、ロマ書12章と、讃美歌を四つ(第一編271下、494,535、

第2編1番)を選んでいました。詩編27編1節の言葉は、「エホバはわが光わが救いなり、われ誰をか畏れん、

エホバはわが生命なり、わが懼るべきものは誰ぞや」です。そして生前に遺したノートには、「クリスチャン

ホームに生まれ、ミッションスクールでご指導を受け、私の生涯は真に幸福」と記されていました。

 私は前夜式の式辞の中で、Kさんをお世話された二人のお孫さんご夫妻が大変よくしてくださったことに感謝

の言葉を述べました。本当によくなさってくれました。お二人のお孫さんは、やらざるを得なかったからと謙

遜におっしゃっておられましたが、そういう関係を築かれたのもKさんご自身だったのかもしれないと思わさ

れました。
           


        「書いて一日を大事にする」       4月27日


 ものを書くことは真の霊的鍛錬になります。ものを書くことで、私たちは集中したり、心のより深い感動に

触れたり、思いをはっきりさせたり、混乱した気持ちを整理したり、体験したことを振り返ったり、日々の暮

らしに芸術的な表現を与えたり、大事な出来事を思い出して心の中に納めたりといろいろ助けられます。もの

を書くということは、私たちの書いたものを読む人にとってもよいこととなります。

 つらく苦しいイライラする日も、それについて書くことでしばしば「救われ」ます。ものを書くことで、私

たちが生きて来たことを自分のものとし、それを私たちの人生の助けとなり、また時には他の人々の人生にと

っても、助けとなるでしょう。


                     (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)