黙想と祈りの夕べ通信(475)復刻版を掲載します。2008年10月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(475[-04]2008・10・26発行)復刻版
教団総会の前後に私は3人の方の葬儀に携わりました。10月10日にはお二人の方が天に召されました。一人
はI・Nさんです。Nさんのお連れ合いのHさんから、その前夜10時過ぎにお電話をいただきました。Nさんが私
の名前を呼んでいるので、一度来て欲しいというので、翌朝早めに伺う約束をしました。翌朝7時半過ぎには
家を出て、タクシーでS女学校の近くにあるI家に向かいました。タクシーの中でNさんが今朝6時過ぎに息を引
き取ったという連絡がNさんのお子さんになりますSさんからあったと、連れ合いからありました。覚えていた
はずのI家に迷いながらやっと伺ったのは8時過ぎでした。ベットに横たわって眠っているかのように、ひげが
長くなった顔はやせてはいましたが、平安な顔のNさんでした。枕辺で祈祷し、まだ医者にも連絡をしていない
という家族の方に、まず医者に連絡するように言いました。9時半過ぎに医者が来て、Nさんを診て、死亡を確
認して下さいました。2日前に診察に来た時には、まだ気管支炎だったが、その後に肺炎をおこして亡くなった
ということでした。入院する道もあったのでしょうが、家で静にご家族の方々に見取られて息を引き取られた
のは、Nさんにとっても幸いだったのではないでしょうか。
10日の夜9時半過ぎにお子さんのいないO・Fさんをお世話されている甥のお連れ合いの方から電話があり、千
葉の上総松丘にある芙蓉病院でFさんが召されたという連絡をいただきました。病院では翌朝までFさんを預か
ってくれるということで、翌朝9時ごろまでに病院に葬儀屋さんの搬送者を回すことにして、その葬儀屋さんの
車で私も病院に向かうことにしました。翌朝6時半に葬儀屋さんに来ていただき、その車に私も一緒に乗って病
院に向かいました。8時少し前には病院に着きました。Fさんの甥夫妻が9時過ぎに到着し、病院から集会室に移
されていましたFさんにお会いしました。FさんもNさん同様平安な笑顔をしていました。集会室で祈祷し、Fさん
は14日の葬儀式まで葬儀屋さんの保冷室に預かっていただくことにしました。
期せずしてお二人は同じ年の生まれでした。Nさんは1909年9月22日、Fさんは1909年12月17日です。Nさんは満
99歳、Fさんは満98歳でした。お二人の葬儀はお二人共に教会では葬儀式のみで、Nさんは13日に、Fさんは14日
に行いました。お二人の晩年は対照的でした。Nさんは最後の最後まで彫刻家として作品を作りつづけて、入院
することなく、内科の医者に2回診ていただいただけで、静に息を引き取られました。Fさんは10年以上千葉の
上総松丘にあります老健と病院で生活されて、息を引き取られました。お二人の共通点はNさんは彫刻家でした
し、Fさんはオルガニストであり合唱団の指揮者でもありました。芸術家であり音楽家でした。お二人に命を与
えてくださり、それぞれの人生を導いてくださいました神さまにお二人をお委ねすると共に、ご遺族の方々に
主の慰めをお祈りいたします。
Fさんの葬儀式が終わった翌日に、会友のK・Tさんの息子さんから電話があり、Tさんが今朝召されたので葬儀
をお願いしたいということでした。Tさんは10年前に召されたK・Nさんのお連れ合いで、Nさんの召された後、渋
谷のマンションのご自宅でヘルパーさんにお世話になりながら、ずっと生活してこられました。ちょうど昨年の
今頃Nさんの10年ということで、青山墓地で追悼記念式をしたときに、Tさんとは久しぶりにお会いしました。そ
の時の照子さんは、Nさんの召された後のTさんよりもお元気に見えました。今年8月末に血圧が急に高くなり入
院し、9月はじめには退院しましたが、その後自宅での生活は無理ということで、青梅の病院の介護棟に入院し
ていましたが、10月15日未明に93歳で息を引き取りました。Nさんの時には、渋谷の教会をということで、会堂
をお借りしてNさんの葬儀を行いました。Tさんは東京の葬祭場でということで、20日夜前夜式、21日11時葬儀式
を落合斎場で行いました。20日は池袋のメトロポリタンホテルで常議員会が午後1時半から9時までありましたが、
夕方から常議員会を抜けて、Tさんの前夜式を司式しました。21日は午後1時半から教団総会でしたので、落合斎
場で葬儀式、火葬前式を終えて、集骨は失礼しメトロポリタンに引き返し、教団総会に出ました。Tさんは日光
の有名なホテルの創業者の末子で、比較的恵まれた生活を生涯にわたって過ごすことができた方のようです。Tさ
んを神さまにお委ねするとともに、ご遺族の方々に主の慰めをお祈りいたします。
「憐れみ、共に苦しむ権威」 10月26日
教会は、しばしば私たちを深く傷つけます。宗教的権威をもった人々が、言葉や態度命令などで、私たちを傷
つけることがよくあります。宗教が生と死の問題に関わるものであるというまさにその理由のために、宗教的に
繊細な感受性を持つ私たちはいとも簡単に傷ついてしまうのです。批判的なちょっとした一言や拒絶の仕種、イ
ライラした態度などが、それを受けた人々の記憶に生涯どれほど残ってしまうものであるかを、牧師や神父はほ
とんど分かっていません。
生きる意味や、慰めと励まし、赦しと和解、回復と癒し、これらのものを探し求める渇きはあまりにも大きい
ので、いかなる形であれ教会で権威を持っている人は誰でも、次のことを絶えず想い起こす必要があります。す
なわち、宗教的権威の性格を表す最もふさわしい言葉はコンパッション(共に苦しむ心)であると。イエスを常
に見つめていましょう。イエスの権威は、コンパッションによって示されました。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)