黙想と祈りの夕べ通信(480)復刻版を掲載します。2008年11月のものです。
毎日本当に暑い日が続いています。くれぐれもお体大切にお過ごしください。
黙想と祈りの夕べ通信(480[-09]2008・11・30発行)復刻版
23日(日)は特別集会で講師に大貫隆さんをお招きし、礼拝説教と講演をお願いしました。ちょうど連休の
中の日曜日ということもあって、参加者はそれほど多くありませんでしたが、説教も講演もイエスの十字架を
テーマにとりあげてくださいました。「死ぬことのできる死」ではなく「死ぬに死ねない死」があることを示
し、「『死ぬことのできない死』を死なねばならなかった人にとって、イエスの最期は何でしょうか」という
ことを語ってくれました。いずれ何らかの形で報告がでるでしょうから、参加できなかった方はご期待くださ
い。講演の質疑の中で、大貫さんが「イエスの復活の顔はイエスの十字架の顔である」という言葉を紹介して
くれました。この言葉はなかなか含蓄の深い言葉ではないかと思います。私はイエスの復活を、イエスの生と
イエスの生の極まりである十字架死の神による肯定というように考えてきました。肯定というのは、イエスの
生とイエスの生の極まりである十字架死にこそ神の真実があるということです。ですから、イエスの十字架と
復活はある意味で同じ事柄ではないかと思うのです。当然イエスの復活の顔があるならば、イエスの顔は十字
架の顔以外の何物でもないはずです。
イエスの十字架は権力者によるイエスの殺害です。私たちの希望は、そのイエスの十字架の向こうにあるの
ではないでしょうか。イエスの十字架を通らない別の希望の道があるとは、私には思えないのです。イエスは
弟子たちに「自分の十字架を負ってわたしに従いなさい」と言われたとうのです。それ以外にイエスに従う道
はないのでしょう。大貫さんの説教と講演を聞いて、改めてイエスの十字架について、いろいろ思いめぐらす
ことができました。
さて、11月24日(月)から26日(水)まで、夏休みの未消化の休みをもらって、私は連れ合いと九州に旅行し
ました。最初は湯布院の温泉に2泊してゆっくりしようかということでしたが、少し観光もしようということに
なり、別府と湯布院に一泊ずつ泊まり、周辺をバスで案内してくれるツアーに参加することにしました。連れ
合いがインターネットで手配をしてくれました。前日の日曜日は礼拝ではじめてマスクして、説教は特別集会
でしたので、大貫隆さんにお願いしていましたが、私は牧会祈祷、幼児祝福、祝等と派遣の言葉を担当しまし
た。咳が出て、風邪が完全には抜けていませんでしたので、これはちょっと翌日からの旅行に支障をもたらす
かもしれないと思っていました。でも、なかなかこういう機会をつくれませんでしたので、少し無理しても行
くことにしていました。幸いにも、風邪には早めに病院に行って薬をもらってのんでいましたので、24日は比
較的体調もよくなり、安心してでかけることができました。こういうツアーには夫婦や友達仲間が参加します
が、バスの中でも旅館の食事の席でも、みんなが親しくなるということはほとんどありません。最低限の挨拶
はしますが、それ以上の会話はなく、それぞれ別行動です。面白い関係です。今回はじめての九州でしたが、
別府温泉も湯布院温泉もよかったです。けれども、2日目に阿蘇に行った途中の広い高原の風景を見たのはは
じめての経験でしたので、それが何と言っても今回の一番の収穫でした。バスの窓から遠くに見える山並みの
稜線に馬か牛が小さく見えるのです。日本にもこんな大草原があるのかと感動しました。
非日常の数日間でしたが、緊急連絡もなくゆっくり過ごすことができました。30日(日)はアドベント第
一主日で、今年ももうすぐクリスマスがやってきます。
「中心にある最も弱いもの」 11月30日
体の最も大事な部分はリードし、制御する頭や手ではありません。最も重要な部分というのは他よりも格好
が悪いと思われる部分にあります。それが教会の神秘です。教会の中心を形づくるのは、私たちの内で最も弱
い人々~老人、幼子、障がいを持った人、心の病を患う人、飢えている人、病気の人~です。抑圧から自由へ
と呼び出された者である私たちはこのことが分かるに違いありません。パウロが言っています。「わたしたち
は、体の中ではほかよりも格好が悪いと思われる部分を覆って、もっと格好よくしようとし、見苦しい部分を
もっと見栄えよくしようとします」(1コリ12:23)。
神の民である教会は、貧しい人々が教会の最も大切な部分である時、私たちの間におられる生けるキリスト
を真に姿、形ある方として示すことが出来ます。貧しい人々を思いやることは、キリスト教的慈善事業をはる
かに超えるものです。それは、キリストの体となることの本質です。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)