なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(481)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(481)復刻版を掲載します。2008年12月のものです。

 昨日木曜日は船越への移動日ですが、鶴巻に用事があり、今朝鶴巻から船越に移動しました。

台風が接近していす。日曜日には関東も影響がでそうです。くれぐれもご注意くださいますように。


      黙想と祈りの夕べ通信(481[-10]2008・12・7発行)復刻版


 クリスマスが今年も間近になりました。11月30日の日曜日の午後4時から蒔田教会の中にあります

神奈川教区事務所で、今年度の教区の第3回オリエンテーションがありました。テーマは「合同のと

らえなおし」でした。沖縄交流委員会のM牧師に発題をお願いして協議の時をもちました。教団とし

て「合同のとらえなおし」は、去る教団総会でも関連する二つの議案が僅差で否決されていますよ

うに、教団全体としてはとらえなおしをしていこうというようには動いていません。むしろそうい

う動きを止める形になっています。合同のとらえなおしの具体的な課題が教団総会の決議として五

つあります。

 ゞ誼珍藁記念日の検討(1984年第23回総会)、教団成立の沿革の加筆修正の検討(1988年第

35回総会)、6誼朕仰告白の再検討(1990年第26回総会)、ざ誼超儀礰以顕檀修正の検討

(1990年第26回総会)、ザ誼通松諒儿垢慮‘ぁ1993年第28回総会)。  この教団名称変更につい

ては、2002年第33回教団総会で沖縄関連議案の時間切れ廃案となっている。以後沖縄教区は「教団か

ら距離をおく」として、教団代議員の選出をせず、教団総会への教区としての参加はしていません。

これらの教団総会決議も現在の教団常議員会では全く棚上げになっています。各教区や各個教会の中

では、沖縄との交流を継続しているところもありますし、合同のとらえなおしの課題を担おうとして

いるとこともあります。そういう状況の中で、なかなか合同のとらえなおしとその実質化を進展させ

ていくということが教団の中では困難であります。今教団との間に距離を置いている沖縄教区との関

係の回復を何とか築いていかなければなりません。教区オリエンテーションには24名の出席がありま

した。次回は講師にS牧師にお願いし、教団の信仰告白と戦責告白を扱うことになっています。

 さてオリエンテーションが終わって委員で次回のことを話し合っていたときに、今年はクリスマス

どころではないね、という言葉が誰とも無く出ました。派遣社員契約社員がこの不況下で各企業に

より大量に契約解除されようとしています。私は18年間名古屋にいましたが、愛知はトヨタの地元で

したので、今までは他の地域よりも仕事があったし、活気があると言われていました。けれども今回

自動車産業の受ける打撃が大きく、厳しくなるのではないかと思います。資本制社会の宿命なのか

もしれませんが、企業の利潤追求という自由競争がベースになっていますので、それによって雇用が

左右されるわけです。景気のいい時は多くの人を雇用し、景気が悪くなると解雇、リストラというこ

とになります。何か違うように思うのです。そこに生きている人たちが誰でも安心して生活できる社

会が望ましいのですが、そういう社会を作れないものなのでしょうか。今回の不況によって野宿を余

儀なくされる人も多くなるかも知れません。寿に関わっていて、私たちは寿のような所がなくなるこ

とをめざして活動を続けているのですが、これではなくなるどころか、寿や山谷や釜ケ崎や笹島が他

にも生まれてくる情況になるかも知れません。本来ならば政治が舵取りして何とか最悪な事態を防ぐ

のでしょうが・・・。5日に寿青年ゼミがあり、私は午後6時からのオリエンテーションと寿日雇い

労働組合のKさんのお話だけに出席しました。そこに出席していた青年が山谷の活動に参加している

のでしょうか、台東区は初めから生活保護の受付は10人〔一日?〕に限定し、生活保護需給を必要と

している人の実態を無視していると怒っていました。行政によってもっともっと困っている人に寄り

添った施策が行われるようにと願うものです。できれば今年の年末年始の越冬に少しでも参加したい

と思っています。  
 

          「永遠のいのちの回復」     12月7日


 私たちが神について一つ知っている確かなことは、私たちの神は生きている者の神であって、死ん

だ者の神ではないということです。神はいのち、神は愛、神は美、神は善、神は真実。神は私たちが

死ぬことを望んではおられません。神は私たちが生きることを望んでおられます。私たちに永遠のい

のちを与えようとしておられる神は、私たちを永遠に愛してくださいます。

 私たちが神の愛にはっきり「はい」と言おうとせず、その永遠のいのちが中断された時、神はイエ

スを私たちのもとに遣わされました。それは、イエスが私たちと共にあって、私たちの名においてそ

の大いなる「はい」を言い、私たちを永遠のいのちに戻してくださるためでした。ですから、死を恐

れないようにしましょう。そこには非常に厳しいボスも、執念深い敵も、私たちを滅ぼそうとする残

忍な独裁者もいません。いるのはただ、愛の神、私たちをご自分の家に迎え入れようと待ちわびてお

られる神、常に許される神だけです。


               (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)