なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(543)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(543)復刻版を掲載します。2010年2月のものです。

 以下には、2010年1月26日の教師委員会による私の免職決定の教団新報公告を見て、私にくれ

た友人の手紙の内容と、免職決定直後のに開かれた2010年2月の常議員会での審判委員選任のこと

などが書かれています。あれからかれこれ5年になろうとしています。


        黙想と祈りの夕べ通信(543[Ⅺ-21]2010・2・21発行)復刻版


 私の戒規・免職の公告が教団新報に載って、そのことを知った神学校の同級の友人が速達で手紙をくれ

ました。その手紙の日付をみましたら、2月13日になっています。私のところに届いたのが13日の午後7時

ごろでした。彼が手紙を書いてすぐ速達で出して、その日の内に着いたことになります。しかも13日は土

曜日です。彼も牧師ですし一人で教会を牧会していますので、土曜日は日曜日の準備で貴重な時間だと思

いますが、そのような時に私のために手紙を書いてくれたことになります。ここに彼の手紙を載せさせて

いただきます。

 「北村慈郎様 どれだけの思いで日々をすごされているかと思うといたたまれない思いです。教団に連

なるものとして、貴兄にこうした苦しみを与えていることを本当に申し訳ない思いです。心からお詫びし

ます。

 送って頂いた資料を読ませて頂きました。

 15日、16日の常議員会で常議員各位がグループ毎の結論ではなく、お一人おひとりが真摯に御心を問い、

良き判断をして下さるよう祈るものです。

 『教団新報』で、一昨日『公告』を見て、本当に衝撃を受けました。1942年のホーリネス教会への弾圧

の時の教団の対応、1970年の東京神学大学の機動隊導入と重なるのを覚えました。しかし、この二つの背

後には国家の圧力があります。しかし、今回は国家の圧力ではなく、教団を構成するメンバーの圧力です。

悲しいとしかいいようがありません。40年余、全力で主と教会に仕えてきた教師に、神さまではなく、同

僚の牧師が『免職』を言い渡し、全国に『公告』する、こんなことが許されてよいのでしょうか。

 小生の思いを具体的に箇条書きで記します。

・信仰職制委員会が先例集96を尊重するようにという答申を出したわけですので、教師委員会が戒規適

用申し立てを受理したことは根底から崩れる。

・聖餐問題で戒規適用はない。☆1987年日本基督教団宣教研究所発行の『聖餐』で、未受洗者陪餐をして

いる教会の事例が3教会報告 → 戒規適用しなかった。☆これまでも未受洗者陪餐を公言している常議

員がいた。

・万が一、戒規を行うとしてもスタートは戒告から。いきなり、免職というのはありえない。それも、も

し今回どうしても戒規なら紅葉坂教会に対してではないでしょうか。

それから、法律の専門家のご意見をすでにお聞きでしょうが、施行細則の7~8条によると3~5条の戒規は解

除、復帰の道があるのですが、6条によると、審判委員による審判が最終決定とあります。上告すると、最

終決定になってしまうのでしょうか。

 もちろん、最終決定であったとしても、第24回総会でホーリネス教会牧師に謝罪したように、教団総会

で貴兄に教団全体で謝罪しなければならないことを思わされています。

 深い心労を覚えている貴兄そして奥様のため祈っています。紅葉坂教会にも教団の一員として申し訳な

い思いで一杯です。

 15日,16日のため祈っています。

 このために多くの時間と労力を割いていることと思いますが、一筆したためざるをえない思いで記しま

した。」

 この手紙を頂いたときには、本当に嬉しかったです。さて15日、16日の常議員会では、私の上告を受け

て、教団総会議長の山北宣久さんは「審判委員選任の件」を急遽常議員会の議題としました。それによっ

て、私は審判委員による最終決定まで免職を留保されることになり、常議員の一人として今回の常議員会

にも参加することができました。まず常議員会では教師委員会による私の免職決定の報告が総幹事報告の

中でなされました。その総幹事報告承認の議事の中で、教師委員会の独断専行が問題にされました。二日

目の最初の議事で「審判委員選任の件」が諮られました。総幹事報告では1時間半くらい、この時も1時間

ぐらい教師員会の免職決定プロセスへの疑義が問題になりましたが、議長による審判委員5名の推薦があり、

決定しました。後宮敬爾、佃真人、石橋秀雄、小橋孝一、木下宣世の5人の常議員です。審判委員は私の

上告理由の正当性と教師委員会の戒規決定が適正か否かを審議し、最終決定を出します。私は教師委員会

の戒規決定を不服として上告しましたが、上告理由は後日提出することにしています。何故なら、私はま

だ私に戒規適用を申立てた小林貞夫の申立書を見ていません。教師委員会が開示してくれないからです。

ですから、上告理由を書くためには申立書の内容の確認が必要ですので、申立書の開示を求めています。

以上が常議員会後の状況です。

           
           「本当の親しさ」      2月21日


 人と人との関係には、たやすく独占欲が入り込みます。私たちの心は愛を欲するあまり、愛や好意、友

情、心づかい、支援を示してくれる人にしがみついてしまいがちです。ひとたび愛の気配を見たり感じた

りすると、さらにもっと欲しくなります。恋人たちがしょっちゅう口げんかするのはそのためです。恋人

たちの口げんかは、自分たちが与えることが出来、また与えたいと思うこと以上のものを相手に望む言い

争いと言えましょう。

 独占的な傾向に陥らずに愛するということは大変難しいことです。それは私たちの心が完全な愛を探し

ており、また人間である以上完全な愛を与えることは不可能だからです。神のみが完全な愛を与えること

が出来ます。したがって、美しく愛するためには互いに間隔をとる感性が必要でしょう。お互いのスペー

スを侵し、相手が一人の自由な人格であることを認めないなら、人間関係で多大の苦しみを引き起こして

しまいます。しかし、相手に自分でいられるスペースを与え、それぞれに与えられた賜物を分かち合うな

ら、本当の親しさが可能となるでしょう。


                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)