なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(548)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(548)復刻版を掲載します。2010年3月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(548)[Ⅺ-26]2010・3・28発行)復刻版


 毎年9月の第二主日のF伝道所献堂礼拝に役員の誰かが出席し、そして年度末の3月に私がF伝道所をお訪

ねして、紅葉坂教会からの献金をお届けしています。そのようにするようになって、かれこれ10年になる

と思います。私はこのことをF伝道所の設立に関係教会として関わりを持ちました紅葉坂教会の責任の一端

として考えています。年度末に私が藤沢ベテル伝道所に行くときには、伝道所の牧師I先生と2時間ほどの

懇談の時を持つようにしています。今年も昨日伺ってきました。I先生は全盲として日々を生きている先生

の経験から鋭い聖書の読みをされます。以前盲伝の全国集会で講師に来られた釜ケ崎で活動している本田

哲郎さんも、I先生の聖書の読みに共感されていたことがあります。今回の私の免職のことについてもいろ

いろ聞かれましたので、私の立場からお話をしました。私の理解では、私の免職の問題においても教団内

における聖書理解、宣教理解、教会理解の違いが根底にあると思っていますので、そのことについてもお

話しました。I先生は、イエスを神に祭り上げてしまった神学・信仰には、人間の現実の問題に迫る力が失

われているのではないか、と繰り返しおっしゃいました。その関連で教団出版局から出ている『アレテイ

ア』は、どこの聖書のテキストを扱っても、みんな同じで面白くないと、アレテイアを酷評されました。

私もそう思っている者の一人ですが、聖書をどう読むかの違いです。飯塚先生も私も、聖書の諸文書を歴

史的な文書として理解し、それを書いた人(人々)、読んだ人(人々)がそれぞれの時代的社会的状況の

中で信仰をもって何を語り、どう生きたのかを、聖書の諸文書の中から解釈しようとします。そして今こ

こでという自分の置かれた場と状況の中で、自分なりに聖書を語っていこうとしているのです。I先生に

誘われて、7月末に都筑区にありますあゆみ荘に一泊して本田哲郎さんと交流の時を持つことになってい

ます。昨年も誘われたのですが、急に行けなくなってお断りしましたが、今年は本田哲郎さんからも北村

さんと話したいということですので、必ず参加しようと思っています。

 上記の私の発言に続いて一人の方の発言がありました。西区にがっつビートという障がい者デイケア

ー、作業所、レストラン、研修所などがある総合施設ができた。私がちょうど相鉄の西横浜駅にいたら、

その施設から出てきた人たちと一緒になった。、その中の一人はホームにいて「電車が来るので早くおい

で」と施設から出てくる仲間を呼んでいた。電車は来てしまい、後から来た子は階段を2、3段のところ

で、間に合わなかった。私なら自分は先に電車に乗ってしまって行ってしまうかもしれないが、呼んだ子

はホームで待っていて、電車のドアが閉まってしまったが、自分が呼んだ子を迎えられたことが嬉しそう

で、一台電車を乗り遅れたことをくやしがる様子は全くなかった。先日神奈川教区の平和フェスタがあり、

聴覚障がい者の方が要約筆記を実際に体験させてくださった。教会のバリアフリーのことでも聴覚障がい

者に対して遅れているように思われる。彼は教区の集会に積極的に出席する。彼が出席する集会では手話

をする人が必要になる。教区では集会での手話のために予算をつけるようになった。紅葉坂教会ではもみ

じの会があり、全国の視覚障がい者の方に朗読奉仕をしている。教団新報、信徒の友、福音と世界、アレ

テイアなどを朗読して送っている。しかし聴覚障がい者は遅れている。日本は国連の障害者権利条約に批

准していない。日本では障がい者にやってあげているという考えがまだ強く、権利意識が弱い。性差別委

員会で台本を聴覚障がい者のために準備したとき、「私たちって親切ね」と言う人がいた。私はそれは違

うのではないかと思った。弱い方、障がいを持った方には、やってあげる、気の毒ね、と言ってしまい易

い。私たちの責任なのに、そして障がいを持った人の権利なのに、そういう言葉を発してしまう私たちの

問題がある。私の学生時代からすると、障がいを持った方が随分社会に出るようになったが、まだまだ十

分とは言えない。一緒に変り合っていけたらと思う。



       「悲しみと踊りが互いに触れ合うところ」   3月28日


 「泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時があり」(コヘレト3:4)。悲しむことと踊ることを完全に分ける

ことは出来ません。一つが、必ずしももう一方に続くわけではありません。実際には二つの時が一つの時

となるかもしれません。一方が終わりもう一方が始まる、はっきりとした時点が示されることなく、悲し

みが喜びに変り、喜びが悲しみに変るかもしれないのです。

 しばしば、悲しみのための空間が踊りによって作り出される一方で、その踊りの振り付けは悲しみによ

って生み出されてゆきます。私たちは親友を失って涙にくれながら、味わったことのない喜びを見出した

りします。また成功を祝う喜びの談笑のただ中にあって、深い悲しみに気づくことがあります。悲しむこ

とと踊ること、悲嘆と笑い、悲しみと喜び。これらは、悲しい顔のピエロと嬉しそうな顔のピエロが一人

であるように一つのものです。こういう顔のピエロが、時に私たちを泣かせまた笑わせるのです。私たち

の人生の美しさは、悲しみと踊りが互いに触れ合っているところで見えるものとなることを信じましょう。
 

                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)