なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(246)

          船越通信癸横苅供 。横娃隠暁1月24日    

・17日(日)の礼拝後には、暮れから帰省したMさんが3日の礼拝にお土産として持って来て下さった、

<松山で知らない人は居ない程の人気銘菓と言われています「一六タルト」、やわらかいスポンジ生地に

柚子風味のこし餡を巻き込んだ、和風のロールケーキのような御菓子>をみんなでいただきながら、いつ

ものように懇談の時をもちました。その時に、年末年始の休みの時に私と連れ合いとで行った栃木の湯西

川温泉の話をしました。クリスマスのキャンドル・サーヴィスが終わってから、以前に行く予定で宿を予

約しておきながら、私の兄が亡くなって行かれなかったことがありましたので、 新年になって宿がとれた

ら行ってみようかとインターネットで調べたところ、比較的人気のある宿が一室空いていましたので、急

遽申し込んで行くことにしたのです。私たちは車を運転しませんので、公共交通機関を使いますが、途中

どこにもよらず電車とバスを乗り継いで、鶴巻を10時過ぎに出て宿に着いたのが午後5時少し前でした。湯

西川温泉は平家の落人が住んでいたと言われる所で、秘境とまでは言えないかも知れませんが、相当奥ま

ったところです。平家の落人が生活したという集落が観光スポットとしてつくられていました。翌日宿を

出て、その場所を見学し、11時過ぎにバスに乗り、途中湯西川温泉駅に隣接している道の駅と鬼怒川温泉

駅で時間調整をして、鶴巻に午後6時過ぎに帰ってきました。ただそれだけの二日間でしたが、いつもの時

間とは違って、ゆったりとした時間を楽しむことができました。ミヒャエル・エンデの『モモ』のように、

日常の時間感覚にはどこかで時間泥棒に追われているような感じがありますが、それとは対照的に時間が

ゆっくり動いているのです。

・さてこの日は夜に第68回かながわ明日の教団を考える会がありましたので、懇談会後皆さんが散会した

後、私はその準備をして会場の紅葉坂教会に向かいました。少し船越教会を早めに出て、桜木町の駅に隣

接しているビルに紀伊国屋書店がありますので、そこに寄り哲学関係・社会学関係の書棚のあるところに

行きました。以前あったところを探しましたがありません。うろうろして書店のフロアーの一番奥まった

ところに、本の数も少なくなっていて、一応思想・社会関係の本も置いているというアリバイ作りのよう

な書棚を見つけました。私は時々書店の本棚を見て、本を手にしてその内容を確かめた上で購入してきま

したが、最近よく行っていた他の書店でも同じような体験をしましたので、今の書店ではそういう本の買

い方はできなくなっているようです。

・かながわ明日の教団の会では、2月の教区総会への対応、特にその総会に出す議員提案議案について、

最近の教団の教師検定試験の在り方について、神奈川教区の東日本大震災被災者支援について(毎年一回

ゴールデン・ウイークに企画している保養プログラム、各教会のボランティア派遣、説教者派遣など)、

北村処分撤回とひらかれた合同教会をつくる会の報告などについて協議の時を持ちました。議員提案議案

は、今回は「辺野古新基地建設の撤回を求める(抗議声明の)件」を扱いました。私の免職撤回と聖餐論

議の場の設定を求める教団総会議案は、今回は教区の常置委員会提案をして6月の教区総会に出すことが常

置委員会できまりましたので、議員提案という形ではなくなりましたので、かながわ明日の教団を考える

会ではその報告をしました。

・21日(木)には、横浜で私の小学校時代の友人2人(1人は名古屋、もう一人は横浜在住)と会い、ず

っと交流を続けていた4人の内の亡くなった1人の友人の墓参りをし、横浜港の大桟橋に行き、お昼を一緒

にして別れました。二人ともキリスト教とは関係がありませんが、小学校時代からの付き合いですので、

この2人と会っていますと、何か自分の原点というか、故郷に戻るような気がします。多くて年に数回、

少ない時には数年に一回会うだけなのですが、不思議なものです。この日は夜に紅葉坂教会で私の支援会

世話人・事務局会がありました。

・最近発行された教区のヤスクニ・天皇制問題小委員会の機関誌「神奈川ヤスクニニュース」第34号に

なか伝道所のEさんが「『国民』であるまえに」という文章を書いています。その最後のところにこうい

う文章があります。<かつて、日本のキリスト者は「キリスト者」である前に「臣民」であり、「個人」

である前に「天皇の赤子」であった。そうなってしまった要因は列挙し得る。だが、ここで確認したい

のは「教団」として「臣道」を語ったという事実だ。(/)わたし(たち)一人ひとりの生活のなかで

/を通して記憶しつづけなければならないこと。それは、いま、ここでキリスト者であるとは、「国民

」である前に一人の「個人」であること、「教会員」である前に一人の「個人」であることではないか。

何らかの「権威」に我が身を委ねるのではなく、あるいは「和」に絡め取られるのではなく、「個人」

として一人ひとりが考え、行動する者として。(/)「あの時」以来、わたし(たち)は「国民」であ

る前に一人の「個人」であろうとすることへと、「招かれ」続けているのではないだろうか>〔注:

(/)=段落本文にはなし。/本文にあり〕。このEさんの文章を読んで、私は名古屋時代(1977

年4月から1995年3月まで)に教会の仲間と膨大な時間をかけて議論し、自分たちの共同性の確

認をしたことを思い出しました。その時の問題意識も、国家や社会が求める「わたし」や「わたした

ち」ではなく、自立した個をベースにした、国家や社会に絡め取られない「我々」的共同性をどう構

築できるか。そしてその共同性を一人ひとりが主体化して、その共同性を体現した「わたしたち」と

してどこまで行動化できるかという課題でした。キリスト者であるということは、パウロに言わせれ

ば、からだの肢体の一部としての「個人」であり、「キリストのからだ」として一体性をもつ共同体

である教会に連なっているわけです。ですから、キリスト者である「わたし(たち)」は、当然国家

や資本制社会である市民社会が求める「わたし(たち)」とは異なっているはずですし、その両者の

狭間での葛藤を安易に解消することはできません。上記のEさんの文章からすれば、「国民」を強いて

来る権力や「和」をもって絡め取ろうとする特に日本的な共同体の圧力に対して、キリスト者として一

人の「個人」としてどう生きるかという課題です。この問題は戦争責任との関連と共に、右傾化した現

在の日本の状況においては非常に重要ではないかと思います。