なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(48)

 しばらくブログに記事をアップすることができませんでした。「エレミヤ書による説教(49)」は

すでに掲載しました。順序としては下記のものがその前になります。


   「迫る恐怖」エレミヤ書20:1-6 2016年10月23日(日)船越教会礼拝説教

・戦時下私たちの教会は、キリスト教がその成立の初めから抱えて来ている「教会と国家」がどのような

関係にあるのかという問題に、全体として否定的な道を選んだということは、歴史的な事実として広く認

められているとことであります。特に日本基督教団は、その成立そのものが国家の要請に屈服したもので

すから、戦時下の日本基督教団が積極的に戦争協力に走ってしまったのは、その成立の事情からして当然

であったと思われます。教会は国家に吞み込まれてしまったのです。

・ご存知のように1967年のイースターに、日本基督教団は、当時の日本基督教団総会議長であった鈴木正

久牧師の名で「第二次世界大戦下における日本基督教団の戦争責任についての告白」(戦責告白)を出し

ました。そしてこの戦責告白で、戦時下に、キリスト主権の下に立って、国家の戦争行為を糺すことがで

きず、天皇制国家に屈服して戦争協力をして、アジアの人々に(沖縄には一切触れられていません)多大

な犠牲を強いた罪責を告白し、悔い改めて二度と再び同じ過ちを繰り返さないという信仰告白をしたので

あります。それは、国家に呑み込まれないで、イエスの福音にふさわしい教会の主体性を歴史社会の中で

貫いていく信仰告白でありました。教会と国家の緊張関係の中で、教会がイエスの福音に立って、この世

に仕え、国家にもきちっと対峙していくことによって、国家に仕えていくという告白です。

・前日本基督教団総会議長のYさんは、残念ながらこの戦責告白が出てからの40年を「荒野の40年」と否定

的に評価しました。その間、日本基督教団の姿勢は、社会的な問題に関心が向かい、伝道には熱心でなか

ったと言っています。そう言うことによって、戦責告白も積極的に評価していません。むしろ「戦責告白

」が教団(=教会)をダメにしたと言うのです。

・現在安倍政権は、積極的平和主義を唱えて、国民一人ひとりを大切にすることよりも強い国家の形成に、

法律を新しく作ったり、改訂したりして、着々と布石を打っています。安保法制、国家秘密法、そして共

謀罪、憲法改悪と、衆参与党三分の二以上の議席獲得に基づいて、数の力でその道を実現しようとしていま

す。この状況の中で、教会とキリスト者はイエスの平和の福音に立って、現在の国家がめざしている道と

は別の、信仰の道、神の国を指し示し、その道を歩み続けることができるでしょうか。今や教会は、この

時代状況の中で、その分岐点に立たされているのかもしれません。そのことを踏まえて、今日のエレミヤ

の預言からメッセージを与えられたいと思います。

・20章1節には、このように語られています。<主の神殿の最高監督者である祭司、イメルの子パシュフル

は、エレミヤが預言してこれらの言葉を語るのを聞いた。パシュフルは預言者エレミヤを打たせ、主の家

の上のベニヤミン門に拘留した>というのです。パシェフルが聞いたエレミヤの預言とは、このエレミヤ

書の文脈からしますと、19章13節から15節、特に15節のエレミヤの預言であると思われます。それは災い

の預言です。<(エレミヤは)神殿の庭に立ち、民のすべてに向かって言った。/「イスラエルの神、万

軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都と、それに属するすべての町々に、わたしが告げたすべて

の災いをもたらす。彼らはうなじを固くし、わたしの言葉に聞き従おうとしなかったからだ。」>と。エ

レミヤの預言を聞いたパシュフルは、エレミヤを打たせ、一夜拘留したというのです。

・私の知っている方は、数年前に厚木飛行場の監視行動を、飛行場が良く見えるマンションでしていまし

たが、そのマンションの許可を取っていないということで、家宅侵入罪で逮捕され、数日拘留されたこと

がありました。警察権力による弾圧だと思いますが、権力に逆らう人や運動は、そのような弾圧を受け

ることがあるのです。実は20日の木曜日に、R教会牧師のYさんが、8月25日に沖縄の高江で防衛局職員の

肩を沖縄平和センター議長のY・Hさんと共に押さえつけて傷害を与えたということで、17日に別件で逮

捕されたY・Hさんに続けて逮捕され、今沖縄の浦添警察に拘留されています。金曜日にそのことを知り、

情報を集め、昨日の土曜日には基地・自衛隊問題小委員会として、不当逮捕の抗議と即時釈放を求める

要望書を関係機関に委員長に出してもらうように、その準備作業をしました。Yさんが心配ですが、何と

かこの苦境を乗り切ってもらいたいと、支えて行かなければと思っています。権力は逆らう者を押さえつ

けてでも、自分たちの目的を達成しようとするものです。

・沖縄の米軍基地を、高江のヘリパット建設と辺野古に新たな基地を造って強化することが、神のみ心で

あるとは思えません。神のみ心は軍事による力の支配ではなく、お互いを思い合う相互理解に基づく、支

え合い、助け合いによって、お互いを大切にして共に生きることです。ですから、沖縄に米軍基地がある

限り、沖縄戦を経験して、戦争の悲惨さを骨の髄まで味わわされた沖縄の人びとの苦しみを、沖縄が加害

者になって、他の国の人々にも味わわせてしまう。事実朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争、アフガン・

イラク戦争と、戦後沖縄に米軍基地があるために、アメリカの戦争に沖縄は加担させられてきた。かつて

島津藩によって沖縄が支配される前の平和な沖縄を取り戻し、沖縄を平和の島にしたいという、基地建設

反対の運動をしている人々の平和への思いと行動ではないでしょうか。このことは、平和を大切にされる

神のみ心に近いのではないでしょうか。ですから、私自身は、できることはわずかですが、基地建設を反

対する人々の側に身を置きたいと思っているのであります。

・パシュフルとエレミヤの関係は、沖縄で基地強化を強引に推し進めようとする安倍政権とそれに反対す

る人々との関係と共通しているように思えます。

・エレミヤは、一夜拘留されて翌日釈放されましたが、その時、自分を打ち叩かせて拘留したパシュフルに

対して、<「主はお前の名をパシュフルではなく、『恐怖が四方から迫る』と呼ばれる>と言ったというの

です。「恐怖が四方から迫る」という言葉は、<突然襲ってくる敵についての警告の言葉でもあるし、威

嚇の言葉でもあったようです。この言葉は、20章10節によれば、エレミヤ自身に対する多くの人の非難の

言葉でありました。<わたしには聞こえています。/多くの人の非難が。/「恐怖が四方から迫る」と彼

らは言う>と。これは、エレミヤを嘲笑する言葉です。20章3節では、その同じ言葉をエレミヤはパシュフ

ルに投げ返しているのです。

・パシュフルとはどんな人物だったのでしょうか。新共同訳聖書では<主の神殿の最高監督者である祭司」

と言われていますが、ヴァイザーは「神殿警備長官である祭司パシュフル」と言っています。パシュフルは、

処罰権限を与えられていて、公の秩序維持を責務とする職務についていた人物だと思われます。その意味で、

彼はこの世の権力を後ろ盾にしている人物と言えるでしょう。一方エレミヤは神のことばを語る預言者です。

エレミヤの後ろ盾は神のことばの権能、力のみです。その違いは歴然としています。

・エレミヤは、拘留される前に「パシュフルは預言者エレミヤを打たせた」と言われていますから、エレミ

ヤは鞭で打たれたと思われます。身体に苦痛をうけたのです。ある種の拷問と言ってよいでしょう。けれど

も、翌朝、釈放されると、エレミヤは、勇気を挫かれることなく、彼を苦痛に遭わせたパシュフェルの前に

立ち、その瞬間に語るべく神から命じられたことばを堂々と告げたのです。

・4節以下に、パシュフルに対して語られたエレミヤの預言が記されています。少し長くなりますが、もう

一度読んでみたいと思います。<「…主はこう言われる。見よ、わたしはお前を「恐怖に」引き渡す。お前

も、お前の親しい者も皆、彼らは敵の剣に倒れ、お前は自分の目でそれを見る。わたしはユダの人々をこ

とごとく、バビロンの王の手に渡す。彼は彼らを捕囚としてバビロンに連れ去り、また剣にかけて殺す。

わたしはこの都に蓄えられている物、労して得た物、高価な物、ユダの王たちの宝物をすべて敵の手に渡

す。彼らはそれを奪い取り、バビロンへ運び去る。パシュフルよ、お前は一族の者と共に、捕えられて行

き、バビロンに行って死に、そこで葬られる。お前も、お前の偽りの預言を聞いた親しい者らと共に。」>

・エレミヤは、拘留されて釈放された翌朝に、この預言をパシュフルに語ったというのです。このエレミ

ヤの預言は、パシュフルのように富や軍事力というこの世の権力に頼るならば、更に大きな富や軍事力を持

つこの世の権力によって滅ぼされてしまうのだと言っているように思われます。エレミヤはそこに神のこと

ばの真実を聞いて、それをパシュフルに語ったのです。地上のいかなる権力も神のことばの真実を沈黙さ

せることはできないからです。真実はどんなに上から覆いをかけて誤魔化そうとしても、真実そのものが

その覆いを取り去って、自らを現わしてくるのです。エレミヤは、歴史を導く神の真実を語りました。そ

れ故に、鞭打たれ、苦痛を味わったのです。しかし、<神に仕えるがゆえに耐え忍ばなければならない苦

痛が、預言者を軟弱にしてしまうことはなかった>のです。地上のいかなる権力も神のことばの真実を沈

黙させることはできなかったからです。

・エレミヤによってパシュフルに向けて語られた、「お前の名をパシュフルではなく、『恐怖が四方から

迫る』と呼ばれる」との預言は、彼と彼の全家族に、バビロンへの強制連行という運命が臨むことによっ

て、現実となっていきます。彼は、再び故郷を見ることができないばかりか、異邦の地で死に、そこに葬

られることになります。

・この神のことばの真実が歴史を貫いていることを、私たちはエレミヤと共に信じたいと思います。その神

のことばの真実が、この歴史の中でナザレのイエスという、ひとりの人間を通して私たちに示されているこ

ともです。若いY牧師は「イエス様は、いつも迫害されている者と共にいました。常に弱い者の味方をして

くださいました。私はそういう人になりたい」と語っていたようです。その言葉には真実があると思います。

今の私にはY牧師のようにはストレートには語れないものがありますが、イエスにおいて現わされている神

の真実をよりどころにして生きていきたいという思いは共有しています。

・願わくは、今の時代の中で、エレミヤのように神のことばの真実に信頼して、権力の横暴に対して毅然と

立ち向かっていくことができるように、私たちに神の支えが与えられますように!