なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(102)

  「陥落・連行・解放」エレミヤ書39:1-14、2018年8月19日船越教会礼拝説教


・8月15日は第二次世界大戦における太平洋戦争による日本の敗戦の日です。私たちはこの戦争によっ

て日本の国が、アジアの人々を中心に世界の人々の、どれだけ多くの命と生活を奪い、人が生きる大地を

いかに荒廃させたかを想い起こさなければなりません。同時にこの戦争と敗戦によって、日本の国と私た

ち自身がどのような経験をせざるを得なかったかということも忘れてはなりません。そして私たちの教会

の属する日本基督教団が積極的にその戦争の協力をしたということも忘れてはなりません。


・今年は8月15日にたまたま夜に、TBS系『NEWS23』特別企画「綾瀬はるか『戦争』を聞く~語らなかった

女たち~」という番組を観ました。女優・綾瀬はるかが“女性たちの戦争”について取材した模様が放送

される番組です。綾瀬が訪ねたのは、10歳のとき満州終戦を迎えた鈴木政子さん(83)という方です。

彼女は幼い時に満州ソ連兵に連行され、収容所で2ヶ月を過ごしました。そこで彼女が目撃したのは、

昼夜を問わず繰り返された性暴力でした。戦後、福岡市の博多港に139万人の日本人が命からがら引き揚

げてきました。そのなかに、満州ソ連兵らから性暴力の被害に遭い、妊娠した女性たちが多く含まれて

いたことはあまり知られていません。引き揚げ船から海に身を投げた女性も少なくなかったと言います。

 また、「二日市保養所」という中絶のための施設も国が関わり、秘密裏に作られました。治療の際に、

医師や看護師が泣き声をあげた赤ん坊の命を奪うこともあったとい言います。当事者の女性たちもずっと

口を閉ざしてきました。年頃の女性はみな標的にされ、鈴木さんが姉のように慕っていた当時18歳の「ゆ

う子さん」(仮名)もソ連兵の性暴力によって妊娠していました。引き揚げ後、「二日市保養所」へ向

かった「ゆう子さん」は、故郷の東北を離れて東京で就職し、82歳で亡くなるまで独身を貫いたと言いま

す。


満州で日本軍からも見捨てられた開拓民の悲惨な経験、沖縄戦、東京を初め日本の諸都市の戦災、広

島・長崎の原爆投下等々、地獄のような敗戦という悲惨な現実を、敗戦の時私は3歳でしたが、ほぼ私の

年より上の世代の人々の多くが味わったのであります。その中を生き残った人々のほとんどは、二度と再

び戦争はしてはならないという思いを共有しているに違いありません。


第一次世界大戦や再二次世界大戦のような近代戦争とは、古代バイロンによるエルサレム攻略は戦争の

規模が全く違っていますが、その戦争に敗北した南ユダの王国に属していた人々が経験した悲惨さという

点では、第二次世界大戦における太平洋戦争において敗北した日本の人々が経験したことと、基本的に共

通するものがあるに違いありません。


・先程司会者に読んでいただいたエレミヤ書39章1~14節には、バビロン軍によってエルサレムが攻撃さ

れ、ついにエルサレムが陥落したことが記されています。この時預言者エレミヤはエルサレムの城内に在

る監視の庭に留置されていました(38:28)。バビロン軍がエルサレムを包囲して、ほぼ1年半後に、エル

サレムの城壁の一角が破られて、≪バビロン王のすべての将軍が来て、中央の門に座を設けた≫(39:3)

と言われています。この中央の門がどこにあったかは分かりません。何れにしろエルサレムは陥落し、バ

ビロン王の将軍たちがエルサレムを支配したというのです。それを見て、≪ユダの王ゼデキヤ王とその戦

士たちは皆、逃げ出し、夜中にエルサレムの二つの城壁の間にある門から、王の園を通り都に出て、アラ

バに向か≫いました。(4節)。しかし、≪カルデヤ(バビロン)軍は彼らを追い、エリコの荒れ地でゼ

デキヤに追いつ≫き、≪王は捕えられて、ハマト地方のリブラにいるバビロンの王ネブカドレツアルのも

とに連れて行かれ、裁きを受けた≫けました(5節)。ゼデキヤ王は元来バビロン王ネブカドレツアルに

よってユダの国の王とされたバビロンの傀儡王です。ユダの国はバビロンの従属国だったのです。そのゼ

デキヤがバビロンに逆らったわけですから、不忠実な従属国の君主として、ネブカドレツアルによる厳し

い裁きを受けざるを得ませんでした。自分の目の前で息子である王子たちが殺されました。ゼデキヤに着

き従っていたユダの貴族たちもすべて殺されました。その上、ネブカドレツアルは≪ゼデキヤの両眼をつ

ぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った≫(7節)のです。ゼデキヤはバビロンに連れて行

かれて、≪死ぬまで獄に閉じ込め≫られていたと言われています(52:11)。これが敗戦によるゼデキヤ

王の末路です。


・ゼデキヤ王はバビロン軍によって陥落したエルサレムを逃げだしましたが、エルサレムに残っていたユ

ダの国の人々はどのような仕打ちを受けたのでしょうか。8節から10節にかけてそのことが記されていま

すので、もう一度その部分を読んで見たいと思います。≪カルデヤ人は、王宮と民家に火を放って焼き払

い、エルサレムの城壁を取り壊した。民のうち都に残っていたほかの者、投降した者、その他の生き残っ

た民は、バビロンの親衛隊の長ネブサルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。その日、無産の貧し

い民の一部は、親衛隊の長ネブザルアダンによってユダの土地に残され、ぶどう畑と耕地を与えられた≫

(8-10節)というのです。つまり敗戦によって、生き残ったユダの人々は、一部の貧しい民以外は、皆

バビロンに捕囚とされて、連れて行かれたというのです。


・一方預言者エレミヤはどうだったかと言いますと、「彼を連れ出し、よく世話をするように。いかなる

害を加えてはならない。彼が求めることは、なんでもかなえてやるように」(12節)というバビロン王ネブ

カドレツアルの命令で、監視の庭に留置されていた状態から解放されて、家に帰され、残留民の中に留

まったのです(14節)。


・以上が、バビロン軍によるエルサレム陥落という南ユダ王国敗戦直後のユダの国の人々の状況だと思わ

れます。それまで彼ら・彼女らが生活していた生活基盤がほとんど失われてしまった状況の中で、ゼデキ

ヤ王家は滅亡し、ユダの国の人々も敗戦国の民として、捕囚民と残留民に分かれて、これからの生活に不

安を抱えながら向かわざるを得ませんでした。彼ら・彼女らが国家を失ったその後の歴史をどのように生

き抜いていったかについては、大変興味と関心があるところですが、今日の説教では触れることはできま

せん。この箇所から、今日は8月19日ですので、私たちの国の敗戦と重ね合わせて、バビロン軍によるエ

ルサレム陥落の状況を想い起こしたいと思った次第です。


・現在安倍政権は、日本を強い国に造ろうと、国家主義的な方向にその政治を動かそうとやっきとなって

いるように見られます。そのために今未だ世界の中では最大の強国と思われますアメリカの傘の下に属

し、アメリカの属国のような政治を行っています。今日の船越通信に8月11日行われた平和集会宣言文が

転載されていますが、その宣言文で触れられています「日米合同委員会」の存在は、正に日本がアメリ

の属国であることを証明しています。そのことを問題としない安倍政権は、「日米合同委員会」の存在を

認めていることになります。


・ところで、権力を持った国家は、私たちにとって本当に必要なのでしょうか。聖書は、ローマの信徒へ

の手紙13章やヨハネ黙示録13章などを見ますと、悪を裁く秩序としての権威の存在として、国家の存在を

前提にしているようにも思われます。無政府状態アナーキーな状態では人間の悪を抑えられないという

ことでしょうか。バビロンに連れて行かれた古代ヘブライ人たちは、ユダの国という民族国家は失いまし

たが、信仰共同体として、バビロニア帝国という国家の秩序に収奪されただけではなく、守られたという

面も確かにあったと思われます。他国の支配下にあったとしても、その秩序に守られて約半世紀を過ご

し、信仰共同体としてバビロン捕囚の民はエルサレムに帰還することができたと言えるからです。


・バルトは、国家を市民共同体として、教会であるキリスト者共同体と共に認めています。そして教会を

内側に、この二つの共同体を同心円として考えています。同心円の内側にある教会であるキリスト者共同

体に属している私たちは、同時に国家である市民共同体にも属していることになります。しかし、この二

つには違いがあります。バルメン宣言の第5項では、このように記されています。


・【第5項:「神を恐れ、王を尊びなさい。」汽撻謄蹌押В隠


・国家は、教会もその中にあるいまだ救われぬこの世にあって、人間的な洞察と人間的な能力の量に従っ

て、権力の威嚇と行使を為しつつ、正義と平和のために配慮するという課題を、神の定めによって与えら

れているということを、聖書はわれわれに語る。教会はこのような神の定めの恩恵を、神に対する感謝と

畏敬の中に承認する。教会は、神の国を、また神の誡命と義を想起せしめ、そのことによって統治者の責

任を想起せしめる。教会は、神がそれによって一切のものを支え給う御言葉の力に信頼し、服従する。


・国家がその特別な委託を超えて、人間生活の唯一にして全体的な秩序となり、従って教会の使命をも果

すべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えを、われわれは斥ける。


・教会がその特別な委託を超えて、国家的性格・国家的課題・国家的価値を獲得し、そのことによって自

ら国家の一機関と成るべきであるとか、そのようなことが可能であるとかいうような誤った教えをわれわ

れは斥ける。】


・このバルメン宣言第5項にもありますように、「教会は、神の国を、また神の誡命と義を想起せしめ、

そのことによって統治者の責任を想起せしめる。教会は、神がそれによって一切のものを支え給う御言葉

の力に信頼し、服従する。」という固有の使命をもって国家に仕えていかなければなりません。それは預

言者エレミヤが、正しく為した業ではないでしょうか。


・ご存知のようにガンジーは、暴力を使ってはならないという非暴力、しかし屈服してはならないという

服従、協力してはいけないという非協力という方法によって、イギリスの植民地支配からインドの独立

を勝ち取った指導者です。このガンジーが太平洋戦争において日本軍がインドに侵入する姿勢を見せたと

きに、「日本人の一人一人へ」という手紙を出しているそうです。この手紙は、当時、日本政府がまった

く禁圧して、私たちの目には届きませんでしたが、これは侵略する日本の国民に訴えたものです。ガン

ジーは、また「日本軍の侵略にいかに抵抗するか」という書簡も書いているそうです。これはインドの

人々に書いたものだと思われます。ガンジーもある意味で預言者的な存在だったのだと思います。


・「国家は、教会もその中にあるいまだ救われぬこの世にあって、人間的な洞察と人間的な能力の量に

従って、権力の威嚇と行使を為しつつ、正義と平和のために配慮するという課題を、神の定めによって与

えられているということを、聖書はわれわれに語る。」と、バルメン宣言第5項で言われていますよう

に、国家に権力が与えられているのは、それによって「平和と正義のために配慮する課題」を果たすため

です。その権力は、大企業を守るために、原発事故を起こした東電を守るために、また、沖縄の人びとを

抑えつけて、辺野古新基地建設をするため使うために与えられたのではありません。ガンジーのように、

教会が率先して権力の横暴を食い止めるために非暴力抵抗を貫いていかなければならないのではないで

しょうか。