なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(455)

  しばらくはお休みしていた「船越通信」を再刊します。

 

船越通信、№455 2020年6月14日   北村慈郎

  • 前回の船越通信(№454)は4月5日(日)の週報に書いています。それから約2か月間は、緊急事態宣言発出により教会での礼拝は休止し、メール配信による自宅で各自分散礼拝にしました。その間船越通信も休刊にしました。緊急事態宣言が解除され、5月31日(日)からは、教会での礼拝を再開し、メール配信も続けています。しばらくはこの態勢で日曜礼拝を行っていきたいと思います。そこで、そろそろ船越通信も再刊することにします。

 

  • さて船越通信をしばらく休刊していたのは、教会での日曜礼拝の休止がきっかけになりましたが、それだけではなく、連れ合いが3月3日に帰天してから1か月ほどしてから、私自身が少し鬱っぽくなっていて、教会での礼拝を休んでいるので、船越通信を書くのもしばらくお休みすることにしたのです。

 

  • 新型コロナ感染防止のために、連れ合いが帰天して3か月になるのですが、お別れ会も開けないでいます。緊急事態宣言発出後、解除までの約1か月半は、私もどこにも出かけないで自宅での自粛生活を続けました。夕方1時間ほど散歩はしました。幸い私の住んでいる所は、200メートルほど行くと田畑の広がる田園地帯になりますし、その田畑からは大山をはじめ東丹沢の山並みが見えます。自粛期間前にはその田畑を夕方散歩しても、ほとんど散歩する人はいませんでしたが、自粛期間中は、疎らではありますが、散歩する人とすれ違うようになりました。この夕方の散歩に出る以外は、ほとんど家の中での生活ですので、居間にある連れ合いの遺影とお骨との共存生活が続いています。

 

  • 散歩のコースはその時々で少し違いますが、大体2コースです。買い物をするときには、田んぼに出てから大山とは反対の平塚方面に歩き、大根川まで行き、大根川沿いを歩いておおね公園で一休みして、生協で買い物をして帰って来るコースです。もう一つは、散歩だけのコースで、その場合は田んぼに出て、大山を左に見ながら伊勢原方面に田んぼの中にある道路を歩いて、大根川に注ぐ水路の善波川沿いのあじさい散歩道に出て、大山に向かって歩きます。途中右折して馬のいる乗馬場によって、運のよい時には馬を眺めて帰って来ます。どちらも小一時間で、5,000歩から6,000歩になります。連れ合いが元気なころには、この散歩コースを一緒に歩きましたが、病気になってからは、足腰が弱くなるといけないからと言って散歩に出ましたが、最高に歩いて、おおね公園まで行って帰って来るだけでした。最後はマンションから200~300メートルくらいにある古木の大ケヤキまででした。こういうように何かと連れ合いのことを想い出しています。

 

  • さて、新型コロナ感染の問題が起こって、私たちの生活が一変しているのですが、この状況を「コロナ禍」と言う場合があります。私自身もしばらく前までは「コロナ禍」と言っていましたが、今はその言い方をしたことを反省しています。そのきっかけを与えられたのは、関西労働者伝道委員会発行の「労伝ニュース」(№167)が送られてきて、その中の「編集後記」を読んだからです。短い文章ですので、そのまま転載させてもらいます。

 

  • 辺野古アメリカ軍新基地建設に反対している。東京オリンピックもやめてほしい。貧富の差は環境や人権を無視して利益を追求する経済活動のしわ寄せだ。/どれも、僕のような小さな個人ではどうにもできない問題だと考えていた。ところが、僕より小さい、目にも見えないウィリスが、基地の工事を一時的にとはいえ止め、オリンピックを延期させ、経済活動を止めてしまった。世界中の工場が止まったおかげで、大気もきれいになったらしい。/多くの人が感染し、死者も多数出してるが、地球はもっと大きな犠牲を払ってきた。現在の人間のせいで一日に百種の動物が絶滅していると言う。「コロナ禍」というが、禍とは何か、人はもっと謙虚に考えなければならない気がする。(岡本)」(下線筆者)。

 

  • 6月7日に投票が行われた沖縄県議会議員選挙は、アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設阻止を目指す玉城知事を「支持する」県政与党が過半数を維持しました。しかし政府は中止していた辺野古新基地建設工事を再開しました。何という傲慢さでしょうか。

 

  • 新型コロナ感染防止のために学校が休校し、オンライン授業が行われるようになりました。機械に弱い私は、まだオンラインを体験したことがありません。ですから、オンラインがどういうものかよくわかりません。テレビの報道番組でスタジオにいるアナウンサーが自宅にいるコメンテーターと会話をしたり、自宅にいるコメンテーターが自分の意見を発言している場面を見ますが、それがオンラインではないかと思っています。自粛で学校に来れない子供たちのために、そのオンライン授業が行われるようになって、不登校の子供の中には、これなら自分も学習できるというので、オンライン授業を積極的に受けている子どももいると言われます。≪熊本市は、もともと端末の導入が進んでいたため、4月からオンライン授業を行ってきましたが、市内の11の学校から、「オンライン授業に不登校の生徒が参加できた」といった報告が相次いで寄せられたということです。・・・こうした報告は、熊本市だけでなく、オンライン授業に力を入れているほかの地域からも上がっています。・・・学校教育に詳しい熊本大学教育学部の苫野一徳准教授は、「不登校の子どもたちが授業に参加できたのは、自分にとって心地のいい学習空間があることに気づけたからだと思う。不登校問題の本質は、同質性の高い学校での学びが窮屈だったことが大きい。オンライン授業は学びの個別化が尊重され、学力の保障もできる。コロナをきっかけに、みんなが一律に学ぶ学校の仕組みそのものが見直されることにつながれば」と話していました≫(ニュースより)。教育には学習だけではなく、人間関係も大切な要素ですから、オンライン授業をしていればいいというわけではないと思いますが、これもコロナによる新しい発見かも知れません。