なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

鶴巻通信(12)

鶴巻通信(12)

 

今日(8月10日)久しぶりにお昼頃、ハガキをポストに投函しがてら自転車で田んぼに行きました。前回の鶴巻通信(11)では、確か梅雨時の田植えが終わったばかりの田んぼの写真を掲載したと思います。その時は植えたばかりの稲の苗が、水を張った田に整然と並んでいたと思います。その稲は、真夏の太陽が照りつける中で、苗から成長し、穂をつけるまでになっています。もう一、二か月経つと、一粒一粒のコメをもみで覆った穂は、頭を垂れるほどになって、刈り入れを迎えることになります。今は稲の穂は多少傾いていますが、ほぼまっすぐ天に向かって伸びています。

 

下記の写真が、今日の田んぼを撮ったものです。背景の一番高い山は大山です。

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船越教会は、7月25日(日)からまた会堂での礼拝はお休みにし、メール配信による自宅分散礼拝にしています(毎日曜日の礼拝式と説教原稿はこのブログにも掲載しています)。私はそれ以降は、鶴巻からどこにも出かけていません。幸い秦野市市営の日帰り温泉「弘法の里湯」は、最初の緊急事態宣言の時はお休みしましたが、その後は蔓延防止特別措置の時も緊急事態宣言の時も、終了時間を1時間短縮して午後8時終了になりますが、休みにはなりません。ですから、週に2回くらいは人が少ない時間を見計らって弘法の里湯に行っています。

 

連れ合いが帰天して、1年半が過ぎました。連れ合いが帰天してから、しばらくして娘が鶴巻に来てくれて、今は娘と一緒に生活しています。娘の仕事は朝はゆっくり、夜終わるのが午後8時過ぎなので、家に帰ってくるのが、午後8時半過ぎになります。そのため家事労働は私がほとんどこなしています。特に食事作りは、朝食も夕食も私が作っています。

 

敗戦後の食糧難の時代を4歳から過ごした私のような者は、日本が豊かになってある程度満ち足りた食事ができるようになってから、そのレベルをなかなか落とせないのです。大したものを食べているわけではないのですが、品数が少なく、一汁一菜のようになると、十分食べられなかった敗戦後しばらくの時代のことがよみがえってくるようで、少し不機嫌になってしまうのです。今はそうでもありませんが、連れ合いが元気なころ、連れ合いが忙しくて食事の準備が十分できなかった時には、特に二人が若く、結婚してまだそう時がたっていなかった頃は、私が不機嫌になることがたまにありました。結婚生活が長くなるにつれて、食事のことで私が不機嫌になると、「そんならあなたが作りなさいよ」と、連れ合いも反撃するようになりましたが。

 

そういうことがあり、今自分が食事作りをしているわけですが、娘からは、「お父さん多すぎ」と時々言われながらも、それなりの品数をそろえてしまうのです。ですから、昼は私独りですので、ほとんど朝食と夕食の残り物を食べています。それでも、食べきれずに捨てざるを得ないときもあり、心を痛めています。