なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№444 2020年1月19日   北村慈郎

  • 12日(日)も礼拝後残れる人でお茶を飲みながら懇談の時を持ちました。その後散会し、この日は次週の準備をして、私は午後1時過ぎには船越教会から鶴巻に向かいました。相鉄横浜駅の中にある星のうどんで、定番のげそ揚げうどんを食べて、一息入れてから相鉄に乗り、海老名乗り換えで小田急鶴巻温泉駅下車、徒歩7分で自宅のマンションに到着しました。午後3時過ぎでした。この日は日曜としては最も早い帰宅時間でした。夕食後、「合同」50年集会の報告集のための編集された原稿のレイアウトの不整合を直し、編集を担当してくださっています湯河原教会の牧師Kさんに修正原稿を送り、もう一度報告集の全ての原稿を読み直して、間違いを直して、最終の修正版を送るから、それをもって私の担当の修正最終版にしてくれるように注記しました。13日(月)に原稿を読み直して見ますと、いくつか間違いが見つかりました。
  • その部分を直した私の修正最終版をこの日に送り、「合同」50年集会報告集作成における私の役割は終わりました。2月19日に「合同」50年集会実行委員会を開き、そこで印刷された報告集の発送作業を予定しています。ですから、2月22日(土)の教区総会には神奈川教区の諸教会・伝道所に配布できるのではないかと思います。
  • 14日(火)は以前神奈川教区の常置委員をされて、教区の委員会の委員も兼ねておられたYさんの葬儀が横浜本牧教会で午前11時半からありました。Yさんは連れ合いも委員をしていた委員会の委員をしていて、連れ合いが病気になってから連れ合いが出席できるために、わざわざ委員会を鶴巻の私たちの自宅で何回か開いて下さいました。その時Yさんも来られて、夕食を共にすることもありました。そこでYさんも癌を体験されて、お連れ合いが食事に気を使って、今は殆ど癌を克服しておられるというお話を伺っていました。そして健康に良い塩があると言って、わざわざその塩を連れ合いのために分けて下さいました。
  • 連れ合いが直腸がんステージ4と宣告されたのが、2018年8月末ですが、2019年の1月に教区の委員会を鶴巻の自宅で開いた時には、Yさんも来ていたのではないかと思います。Yさんが癌の再発で病院で抗がん治療を受けていると私がお聞きしたのは、2019年の夏が過ぎてからではないかと思います。その後教区の常置委員会の時に、「常置委員をされたYさんが厳しい状態なので、お祈りください」というアナウンスがあり、私もYさんのことを心にかけていました。年が明けてから、Yさんの帰天の知らせが入り、「あんなにお元気にしていて、連れ合いを励ましてくれたYさんだったのに」と驚いた次第です。そういうYさんとの繋がりがありましたので、私もYさんの葬儀に出席しました。葬儀に出て、牧師の葬儀説教から、Yさんが悪性リンパガンで23年も生存した、めずらしい方であるということを知りました。また、Yさんは、癌が分かった時に、お連れ合いから「長く細く」がいいのか、「太く短く」がいいのか、問われて、「長く細く」と答えて、お連れ合いの食事療法の努力もあって、その希望通りになったというのです。その時、何かすごいお話をお聞きしたという思いを、私は持ちました。感動しました。Yさんの葬儀を終えて、鶴巻に帰ったのは午後4時ごろになっていました。
  • 15日(水)は教区オリエンテーション委員会による第4回オリエンテーション「「教師検定問題(教職と教師検定試験)」(講師:北松戸教会・K・Bさん)の案内文原案を作成し、委員とK・Bさんにメールで送りました。16日(木)中に修正意見があれば寄せてもらい、案内文を完成し、対象者への発送をオリエンテーション委員のSさんにお願いすることにしました。修正意見はなく、私の原案文案通りの第4回オリエンテーションの案内が発送されることになりました。
  • 16日(木)18:30より紅葉坂教会で私の支援会の世話人・事務局会がありました。この日の会では、主に昨年末に支援者を中心に発送しました通信第24号の反響について、特に通信第24号に同封しましたパフレット「戒規免職問題とは何か」を読んでの感想を書いてもらうハガキが、現在4通事務局長のK・Hさんの所に届いているという報告を受けました。支援会ではハガキの意見表明がある程度集まりましたら、パンフレットの別冊を作成したいと思っています。またこの日の会では3月28日(土)に予定しています総会の準備をしました。
  • 私が昨年9月に現教師委員会に出しました戒規免職の再審請求について、教師委員会からは受領したとも何の応答もありません。支援会世話人代表のS先生は、教団石橋議長に私の戒規免職撤回、復職のお願いの手紙を出して下さいましたが、石橋議長からは何の音定もないということです。先生はまた石橋議長に手紙を書く、とおっしゃって下さっています。1月26日が来ますと、私が当時の教師委員会から戒規免職処分を受けてからちょうど10年になります。私が日本基督教団から戒規免職処分を受ける契機になったのは、沖縄教区議員の不在という中で教団総会の礼拝で行われた聖餐の陪餐を私が拒否したことにあります。それからすると14年になります。長くなりましたが、多くの方の支援を受けて、この間一貫して戒規免職撤回を訴え続けることが出来ました。これからも撤回=復職を勝ち取るまで、淡々んと運動を続けていきたいと思っています。
  • この日鶴巻に帰ると、連れ合いがお腹が痛くて苦しかったと椅子に横たわっていました。最近少し衰えが見え始めていましたので心配でしたが、少し様子を見ていましたら落ち着いてきましたので安心しました。17日(金)は午後5時から寿地区活動委員会があり、その後午後6時から町の人と新年会の鍋を囲む会がありました。私は連れ合いのこともありましたので、委員会だけ出て、鍋の会は失礼させていただきました。この日は鶴巻に帰り、連れ合いの様子を見て、18日は本人が大丈夫だと言うので、夕方鶴巻から船越に移動しました。