なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(543)

船越通信、№543 2022年12月4日(日)北村慈郎

 

  • 27日(日)の礼拝後に、Nさんが用意してくださった昼食をいただいて、12時30分から平和と人権を考えるDVD鑑賞会「証言ドキュメント“沖縄返還史”」(NHKスペシャル2022年5月15日放送)を行ないました。参加者はこの日礼拝に出席した教会員の7名で、今回はコロナ第8波のこともあり、他に参加者はありませんでした。今回鑑賞した「証言ドキュメント“沖縄返還史”」は沖縄返還50年に当たってNHKが、当時の膨大な資料からまとめたもので、特に当時の佐藤首相のアメリカとの返還交渉に焦点を当てたものです。その意味ではアメリカとの政治交渉が中心になっています。「沖縄の復帰なくして日本の戦後は終わらない」と述べた佐藤首相にとっては、沖縄の日本復帰は彼の政治生命をかけた課題であったのかも知れません。しかし、沖縄の日本への復帰の実態は、アメリカの日本の占領政策という枠組みの中でのことで、事実復帰後50年間の沖縄における米軍基地の存在は、復帰以前とほとんど変わらないどころか、むしろ沖縄の負担は増えているのです。現在の政府は、沖縄をあたかも植民地であるかのように沖縄の民意を無視して辺野古新基地建設をなりふり構わずに強行しています。その強権的な政府の姿勢は沖縄差別以外の何ものでもありません。太平洋戦争下において日本の天皇制国家が沖縄を天皇制温存のために捨て石にしたように、今の日本政府も日本(ヤマト)を守るための捨て石に沖縄を含めた南西諸島をしようとしているとしか思えません。本来政治がなすべきことは、一人一人の命と生活を守ることであるはずです。暴力である軍事力では、一人一人の命と生活は守ることはできません。軍事力に寄らない平和外交の努力と蓄積によって、他国との信頼関係を構築して、相互扶助の関係を密にし、それをもって安全保障とするべきではないでしょうか。そのような政治理念を持って政治活動を行なっている国会議員は、国会の討論をテレビで観ていても、今は皆無ではないかと思われるくらいです。
  • この週の木曜日に国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに行ったとき、いつも私たちが座り込んでいる場所に、5~6人の妙法寺の僧侶と信徒の方が、地面に座布団のようなものを置いて、その上に正座して、その前に軍事基地や原発反対のチラシをならべて、太鼓をたたきながら、「なんみょうほうれんげきょう」を合唱のように唱えていました。その一人の方からいただいたチラシには「2022年の臘八接心断食断水祈念」という表題があり、祈念の内容を示す短文がいくつか記されています。以下それを記しておきます。

【 平和外交をせず、軍事費がどんどん増えていくこと。

沖縄の小さな島に、ミサイル基地が作られて、水源まで汚染されていること。

福島第一原発からの処理水という名前の処理しきれない汚染水が命の海に棄てること。

被爆者をつくりつづける「原子力発電所」を稼働していること。

子供たちの住む未来の地球環境より、自身の権威と経済を守ることに必死なこと。

色々な理由をつけて、人を殺すことを正当化し、有り余る食料を分けることさえも出来ない私たち人間。声にならない声を想像する。

国が進む方向が国民の為になっていないと、一人ひとりの国民の幸せはない。】

  • 臘八接心(ろうはつせっしん)をインターネットで調べましたら、「臘八接心は、お釈迦様が12月1日から12月8日まで坐禅をして、悟りを開かれた事に由来しています。 そのため曹洞宗では、この一週間の期間を集中して坐禅する期間としています」とありました。1日(木)の私たちの国会前の座り込みは午後4時少し前に終わり、この日もいつもの4人でしたが、妙法寺の方々は18時まで続けるようでしたので、挨拶をして、それぞれ帰途につきました。
  • 27日(日)はDVD鑑賞会後、夕食の買い出しをして、この日は船越教会に泊まりました。27日(日)に船越教会に泊まったのは、28日(月)午前中に消防署の立ち入り検査があったからです。3点注意を受けました。①今設置してある消火器が期限切れで、新しいのを設置すること。②礼拝堂の避難灯が点灯しないので、点灯するようにすること。③礼拝堂の避難扉の前に物(印刷機)を置かないこと。そのうちに文書で消防署から改善点が来ると思いますので、12月の役員会(12月11日)で検討したいと思います。午前中には消防署立ち入り検査が終わりましたので、私も船越教会を出ました。この日は私の父と母、兄と姉、そして姪が埋葬してある墓地が相鉄の和田駅の近くにある曹洞宗のお寺にありますので、何十年もその墓に花を供えることもしていませんでしたので、何となくそこに足が向きました。和田駅を降りて、海老名方面に向かって10分ほど歩いた左手山のふもとにあるお寺です。以前行ったときのうろ覚えのお寺の感じからすると、随分立派になっているように思いました。うろ覚えのお墓の場所を探し当て、花を供え、心の中で祈り、鶴巻に帰ってきました。
  • 30日(水)には、私が最初に赴任した東京の足立区にある日本基督教団の足立梅田教会の関係者2名が、鶴巻温泉に入って、私と会って話なしたいというので、午前11時に鶴巻温線駅の改札の出たところで待ち合わせました。そこで落ち合い、秦野市市営の日帰り温泉、弘法の里湯に案内し、一緒に温泉に入りました。その後2階の貸室で話し合い、午後1時半過ぎに階下の食堂で昼食を共にしてから、私は午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会(基地小)がありましたので、二人はもう一度温泉に入ってから帰るというので、そこで分かれ、一度マンションに帰り、それか高座渋谷教会に向かいました。基地小では、各地の報告を分かち合い、来年1月に予定しています委員会内学習会や社会委員会主催の平和エスタ(3月21日)での基地小のアッピールのことなどを話し合い、午後6時過ぎに委員会を終えて、鶴巻に帰ってきました。
  • 2日(金)は、午前中、沖縄からこちらに帰っているK・Rさんが、お連れ合いと共に鶴巻のマンションに来てくれました。K・Rさんは私の連れ合いが帰天してから、5月の連休の時期とこの12月初めの時期と年に2度鶴巻にお花を持って来てくれます。Kさん夫妻が帰った後に、宅急便の荷物が届き、玄関で受け取りました。すると、船越教会の皆さんから、私の誕生日を祝って送っていただいたお花でした。カードも添えてありました。お花は千賀の写真の前に置いて、しばらく千賀と共に鑑賞させてもらいます。ありがとうございました。