なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(630)

船越通信、№630  2024年8月25日(日)  北村慈郎

  • 18日(日)は礼拝後8月の役員会がありました。この月は役員の方と私の都合で第1,第2日曜日礼拝後には役員会が開催できませんでしたので、第3週の18日に役員会をすることにしていたからです。役員会は開きましたが、会計役員のHさんがコロナに罹りこの日は欠席でしたので、役員3人と私とで役員会を行ないました。12時半ごろ役員会を終えて、散会しましたので、私も午後1時8分のバスで追浜に出て、鶴巻に帰りました。8月18日は帰天された関田寛雄先生の誕生日です。関田先生のことを想い出すと共に、数日前の16日に荒井献さんが帰天されたという連絡を受けていましたので、お世話になった先生方が地上から天に場所を移して、一人二人といなくなっていく淋しさを感じていました。荒井献さんには、1980年代に私が名古屋の教会の牧師だった時に、教会にも講演にきていただきましたが、当時名古屋のカトリック南山大学の神言神学院に新約学の三好迪さんがいて、南山の神言神学院の特講に一週間くらい荒井献さんが来ることがありました。私は三好さんのルカ福音書の誕生物語の講義を聴講させてもらっていました。荒井さんの特講は一週間連続でしたので教会の仕事があり聴講できませんでしたが、荒井さんが特講で南山に来ていた時に、当時の堀川伝道所の牧師だったSさんと3人で食事をしました。その時、荒井さんから南山神言神学院の寮に泊まっていると、夜寝る時枕元に日本酒の一升瓶が置かれているという話を聞いて、それが今でも印象に残っています。1995年に名古屋の教会を辞し、私が紅葉坂教会の牧師になってからも、聖餐のことで荒井さんを紅葉坂教会に呼んだことがあります。聖餐についての3年近い学びの最後の頃だったと思います。その時も私が紅葉坂教会で洗礼を受けていない人でも希望すれば聖餐に与ることが出来る、いわゆる「開かれた聖餐」の学びを3年近く続けていると、荒井さんに言いましたら、荒井さんは「北村さんは慎重だから、…」とおっしゃっていました。この時の荒井さんの聖餐についての講演が紅葉坂教会のメンバーにもインパクトを与えたようで、その後しばらくして信徒の中からそろそろ結論を出してもらいたいという要望が出て、「“聖餐は洗礼を受けた者が与る”という紅葉坂教会規則第8条の削除をもって、紅葉坂教会は『開かれた聖餐』を執行する。式文は牧師に一任する」という教会総会議案に役員会がまとめて、1999年3月の紅葉坂教会総会で諮り、可決されて、その年のイースターから「開かれた聖餐」を行なうようになりました。それがたまたま私が2004年の教団総会で常議員に選出され、教団の常議員会に出るようになり、2006年の教団総会の礼拝で行なわれた聖餐式の陪餐に、私は沖縄教区から議員が出て来ない状況では与れないと思い与りませんでした。そのことが常議員会で問題にされて、自由な懇談で記録も取らないからと言って、私に紅葉坂教会の聖餐について話をさせ、その私の話を根拠にして、当時の山北宣久教団議長から私は教師退任勧告を受けたのです。そこから始まって2010年9月26日に最終的に私の日本基督教団における教師免職処分が決定したのです。荒井さんはこの私の免職処分のことを気にかけてくれていて、聖餐に関する荒井さんの論文を送ってくれたこともありました。そういう意味では荒井さんも関田先生同様に教団における私の免職撤回を応援して下さっていました。荒井さんは1930年生まれで、今年94歳で、ちょう関田先生と同じ年で帰天されたことになります。天上でお二人が語り合っていることを想像して、慰められます。
  • 19日(月)は、この一か月程右足に姿勢によって痛みあり、重い荷物を運んだ時に少し腰を痛めた時からのものなので、久しぶりに千駄木カイロプラクティックスに行って、治療を受けて来ました。
  • 21日(水)は午後7時からZoomで支援会の世話人・事務局会がありました。現在支援会では私の支援コンサートを続けています。本年2月に第1回を荻窪教会で開催し、その後4月に紅葉坂教会で第2回、そして7月に千葉の市川三本松教会で第3回を行なっています。10月には第4回を軽井沢の軽井沢追分教会で行なうことになっています。また、今年は10月末に教団総会がありますので、そのための準備もして行かなければなりません。教団総会の中日の夜にはまた教団総会が開かあれる池袋の貸しホールを全国交流会のために既に借りています。この日の世話人・事務局会では現状報告の後、先ず第4回コンサートの打ち合わせをしました。今回は遠方になるので、演奏者への対応をはじめ、事務局からも誰が行けるか、前日か当日かなど細かな確認もしました。6月末に開催された神奈川教区総会で私の免職問題の教団総会議案が可決されましたので、その教団総会議案「日本基督教団第36総会期教師委員会により戒規免職処分にされた北村慈郎教師の戒規申立と審判委員の選任に公正・中立性について疑いがあるので、本総会期常議員会で新たな審判委員を選び、再審理を求める件」とこの議案を巡る教区総会での議論をまとめ、それに幾つかの文章を加えて、通信第34号を編集し、教団総会前に発行することにしました。またその通信第34号と共に紅葉坂教会130年史(2013年4月~2023年3月の記録)から「北村慈郎牧師免職問題~問題を風化させないために~」の部分を紅葉坂教会役員会の了承を得た上で、通信第34号と共に教団総会二日目の夜に開催する「全国交流集会」の案内を入れて、9月中には支援者及び教団の全教会・伝道所への発送をすることにしました。そのためにこれから少し忙しくなります。
  • 22日(木)は国会前の座り込みに出かけたのですが、鶴巻温泉駅から小田急に乗ってしばらくして、座り込みの常連の方から電話があり、東京都心は豪雨なので、この日は座り込みを中止したという連絡がありましたので、海老名から引き返しました。