船越通信、№645 2024年12月22日(日) 北村慈郎
主の降誕をお祝い申し上げます。クリスマスおめでとうございます!
船越教会ではお世話になった方や地方にいる教会員や諸事情で教会の礼拝に出席できないメンバーを憶えて、アドベントンの時期に寄せ書きのクリスマス・カードを毎年出しています。
このことは、私が2011年4月から実質的な船越教会の牧師になってから、ずっと慣例によってIさんが担当してくださっていました。ところが数年前からIさんが抗ガン治療を続けるようになってから、役員会で分担してするようにしていますが、今年は12月8日(日)に70周年の礼拝と教会修養会を行ないましたので、その時みなさんに寄せ書きをしてもらうのを失念してしまいました。
そこで15日(日)は礼拝後に、寄せ書きをまだ書いていない方に書いていただき、Hさんが最後にまとめて投函して下さることになりました。その確認をしてから、この日予定されていた京急田浦駅前でのガザ支援のスタンディングに皆で出かけました。
この日は寒さが厳しく、京急田浦駅前は日陰の場所で太陽の暖かな日差しもありませんでしたので、少し体が凍えそうでしたが、「ガザへのご支援をよろしくおねがいします」と京急田浦駅に出入りする人や駅前を通る人に向かって呼びかけました。
この日はいつもより人通りが少ない感じでした。Nさんの報告では、この日のカンパは1,600円でした。参加者は8名です。12時40分過ぎに解散し、そこで散会しました。私は、それから教会に戻り、しばらく2階の牧師館で後片付けをしてから、午後2時前に教会を出て京急田浦駅から鶴巻に帰ってきました。
この週は17日(火)に千駄木のカイロフラクシィスの治療に行く予定でしたので、伺いました。今年の夏ごろに右足の一部にしびれがあるようになり、歩くのがしんどくなりましたので、以前にかかったことのあるカイロに8月半ばに伺いました。その後月一回通っていましたが、先月には大分良くなっているので、施術もなく、もう一度来てもらって今の状態ならば、今回はこれで終了になりますということでした。この日伺って見てもらった結果、これで終了というお墨付きをいただきました。確かに最近右足の一部にあったしびれも全くなくなり、歩くのが少し楽になっていましたので、体のバランスが良くなっているのではないかと感じていました。歩くという人間の基本的な動作が無理なくできるということは、ありがたいことです。
19日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日も国会が会期中ということもあり、私たちが座り込みをしている参議院議員会館前の道路を行き来する人は多くいましたし、向かいの道路には、国会見学の小中学生を乗せた観光バスがひっきりなしに停車して、引率の大人と子供たちを降ろしていて、国会見学の子どもたちも多かったように思います。
寒さを防ぐために厚着して座っていた私に、金髪の外国人の女性が、日本語で「寒いので気を付けて、頑張ってください」と声をかけてくださり、私は「ありがとう」を応答しましたが、通り過ぎて行かれました。この日はいつもの4人に加えて、2人の方が加わり、6人で座り込みをしました。私以外は皆女性です。年齢は多分私が2番目で、一番上の方はもうすぐ90歳になろうとしている方です。
この日一人の年配の男性が、「日本は戦後79年アメリカに占領されたままだからね」と座り込みをしている私たちに声をかけて、通り過ぎて行きました。
確かに現在の日本政府も、戦後ずっとそうであったようにアメリカへの従属国家の道を選んでいるとしか思えません。アメリカとの関係においては日本の国は主権国家とは、とても言えない状況です。コロナ感染拡大の時期には、沖縄は勿論、横須賀などでも米兵による感染拡大が問題になりました。米兵は日本へ入国が治外法権でノーチェックだからです。米兵による女性への犯罪も、日本人と同じように日本の法律で米兵を裁くことはできません。
おかしなことなのですが、そういう現実が日本にはあるのです。日本が未だアメリカの植民地と言われる所以です。日本の国を、日本国憲法第9条に基づいた平和国家していくために「国民」と政治家が共に努力する国にしていけるようにと、祈りつつ自分の出来ることをしていきたいと願っています。
現在の日本基督教団の喫緊の課題は「機構改定」と言われています。教会員の人数が少なくなり、財政的にも現状維持が難しくなって来ていますので、日本基督教団の現状の力に相応しい組織変更としての「機構改定」が問題になっていると思われます。
しかし、教団との間に距離を置く沖縄教区や私の戒規免職御問題で教団は二分化していますので、多数派の考える「機構改定」が教団総会で可決する可能性は、ほぼゼロに近いと思われます。
機構改定のような教憲・教規の改訂に関わる議案は、教団総会で出席者の3分の2の賛成が必要だからです。それだけではなく、教団の多数派が考える機構改定は、明治前後に日本に宣教したヨーロッパ・プロテスタントキリスト教の宣教論、教会論にほぼ基づいたもので、会堂を持ち信徒が集まって来て、牧師を招聘して行う教会活動をベースに考えられたものに違いありません。
そもそもそのようなヨーロッパ・プロテスタントキリスト教はヨーロッパ社会と一体化したもので、基本的には二王国説に基づいています。政治的権力が自らの限界を超えて、教会をもその権力下に置こうとした時に、自己保存を願う教会は教会を守るためにその政治権力に包含される道を選び易いと言えるでしょう。
そういう戦時下教団の過ちを踏まえて、教会の宣教論、教会論を考えなければならないのですが、残念ながら教団多数派には、自らの正統性を主張するだけで、そういう問題意識すらないのが現状です。