なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(560)+α

4月2日(日)の説教の付録というか、説教で引用したボンフェッファーの言葉を、前後の文脈を入れて下記に記しておきます。

 

「この人を見よ」

 この人を見よ。この人において、神とこの世界との和解が成立した。この世界は、破壊によってではなく和解によって克服されるのである。この世界の現実と対決し、この現実を克服するのは、われわれの理想や計画ではなく、また良心や義務や責任や美徳でもなく、ただ神の完全な愛だけである。この世に対する神の愛が、現実から離れてこの世から逃避している高尚な魂に向かうということはない。むしろ神の愛は、この世の最も激しい現実にまで到達し、この世の苦しみを身に負うのである。この世はイエス・キリストの体に激しく襲いかかるが、キリストは苦しめられながらもこの世の罪を赦す。このようにして、和解が成し遂げられる。この人を見よ。

 この和解者である神人イエス・キリストの「かたち」は、神とこの世界との中間に立ち、すべての歴史、出来事の中心となる。この「かたち」によって神の秘密が明らかにされるが、同時にこの世の秘密も明らかにされる。どのような悪の深淵も、この世界を神に和解させた方によって、隠されたままでいることはできない。それどころか、神の深い愛は、神のいないこの世の最も深い淵をも、その中に包み入れるのである。神は、われわれの理解を越え、この世の正義と敬虔とについてのあらゆる考えをひるがえす。神は、自分をこの世に対して罪あるものとし、そのことによってこの世の罪を取り除く。神は、屈辱的な和解の道を歩み、この世を解放する。神は、われわれの罪責を身に負い、罪責がわれわれのうえにもたらす罰と苦難とを自分に引き受ける。神が神なき者の味方となり、愛が憎しみの味方となり、聖なる者が罪人の味方となる。今や、いかなる神なき者もなく、いかなる憎しみも、罪もなくなる。神がそれらすべてを自分に引き受け、苦しみ、そしてその報いを受けるからである。今や、神との和解に入れられず、神との平和を与えられていないようないかなる現実も、いかなる世界もなくなる。このことを神は、その愛するみ子イエス・キリストにおいて成し遂げたのである。この人を見よ。

 

 

船越通信、№560 2023年4月2日(日)北村慈郎

  • 26日(日)は雨の日曜日でしたが、久しぶりに出席した方と礼拝が終わってから来たIさんも交えて、礼拝後集会室でお茶をいただきながら、しばらく懇談の時を持ちました。その間3人の役員の方には代務者申請に必要な書類に署名捺印をしていただきました。12時半ごろ皆が散会し、私も1時過ぎのバスで追浜に出て、鶴巻に帰りました。
  • 3月21日のオンラインフェスタで「中世の魔女狩りか異端審問か?~教団における私の戒規免職処分~」と題して話した私の講演が、日本基督教団神奈川教区のホームページに、You Tubeライブ配信されていますので、私のパソコンのメールアドレスからめぼしい方々を選び、視聴と拡散をお願いするメールを出しました。教団の戒規免職処分について私がまとめて話をするのは、今回がはじめてでしたので、できるだけ多くの教団の信徒・教職の方々に、私の言い分を聞いてもらいたいと思ったからです。私は私のブログでもそのことをお願いし、ブログにはオンラインフェスタで話した原稿も掲載しました。教区のホームページに何時までオンラインフェスタのYou Tubeライブ配信をしているのかは分かりませんが、私はこれからも機会あるごとにこのYou Tubeライブ配信を視聴がしてくださるようにお願いして行こうかと思っています。現在昨秋の教団総会で選出された教団三役・常議員による常議員会で、教団の機構改定の問題が審議されていますが、教団が機構改定をすることができるためには、その前提として私は三つの事をクリアーして行かなければならないと思っています。一つは「合同のとらえなおし」の教団総会議案をすべて審議未了廃案にして沖縄教区を切り捨てた教団が、沖縄教区に謝罪し、沖縄教区との関係を修復することです。二つ目は、私の戒規免職処分を撤回することです。三つめは、教団総会における常議員選挙を全数連記から少数連記にし、様々な立場の人が常議員になれるようにすることです。現在のように一部の正統主義をもって任じる人たちが他を排して自分達だけで教団を形成するのだと居直っている限り、教団の機構改定はできるはずがありません。現教団執行部は速やかなにこのことに気づき、方向転換をして異なる立場の人たちを排除せずに、仲間として迎え、議論を通してよりよいものを作り上げていくようにならなければ、教団の機構改定はいつまでたっても実現しないでしょう。
  • 2月、3月と私が講演と言うか、話すことが3回続き、それが2月21日のオンラインフェスタで一段落しましたので、今週から通常の生活に戻りました。4月9日(日)がイースターですので、教会員と会友の方にイースター礼拝の案内ハガキを出し、週報ボックスにたまっていた週報一か月分と2月と3月に続けて発行された「船越の丘から」を同封して、教会の礼拝に来られない方に送りました。
  • 29日(水)は午後4時半から翠ヶ丘教会で基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)がありました。21日のオンラインフェスタも翠ヶ丘教会に行き、迷って迎えに来てもらいましたが、今回はさすがに迷わずに小田急相模原駅から翠ヶ丘教会まで行くことができました。この日の基地小では、初めて発行する基地小通信第1号の印刷を翠ヶ丘教会でし、それを封筒に入れて教区の教会・伝道所に発送する作業がありましたので、委員会の場所をいつもの高座渋谷教会から翠ヶ丘教会にしていたのです。委員5人で発送作業をし、その後通常の委員会をしました。厚木・座間及び横須賀の現状報告の後、年度末でしたので委員長と会計が用意してくれた、2022年度の基地小の年度報告と会計報告を審議し承認しました。その後、藤本監督の映画(「宮古島からのSOS」)上映キャラバンを、沖縄交流委員会や青年委員会などとの共催で行うことができないか、検討していくことにしました。午後6時過ぎに委員会は終わり、私は皆と分かれて、一人だけ小田急相模駅に向かい帰ってきました。
  • 30日(木)は暖かな日でした。先週は雨で国会前の辺野古新基地建設反対座り込みは中止でしたので、2週間ぶりに国会前に行きました。すると、参議院議員会館の歩道の壁の内側に等間隔で植えてある枝垂桜の花が咲いていました。ただまだ若い木で全体に不ぞろいでした。一方車道と歩道の間に植えられた年輪を重ねたイチョウ並木の枝からは緑の芽が沢山ふいていて、先々週までの葉が散った緑の無い枝だけのイチョウの木からは一変していました。しばらく前までは、座り込んでいる私たちの道路に散ったイチョウの落ち葉や銀杏を箒でかき集めていた参議院議員会館の職員の方がいました。冬から春に季節は駆け足で進んでいるようです。この日の国会前は賑やかでした。私たちが座り込んでいる参議院議員会館前は永田町の地下鉄に近く、官邸からは一番遠いのですが、参議院議員会館から官邸に向かって、第2衆議院議員会館、第1衆議院議員会館と並んで建っています。この日は第2衆議院議員会館前の道路と第1衆議院議員開会前の道路の2ヶ所で二つの別々のグループがマイクで抗議行動をしていました。また私たちの座り込みのすぐ近くでは、たった一人の人ですが、座り込みの抗議行動をしていました。今の岸田政権の危うさにいてもたってもいられない人が沢山いる証左ではないかと思いました。