なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

神の代理人

・人には誰にも秘密にしておきたい部分があるものだ。大きな秘密もあれば、小さな秘密もある。私にもそれはある。ただもう60代半ばまで生きてきたのだから、その秘密にこだわる必要もないと感じている。

・私は神学校を出て牧師になった。ただ殆どの同級の友人たちは大学院を卒業しているが、私は大学院を中退しているので、学部卒業である。その理由は、卒論を書かなかったからである。書かなかったというよりも、通常の大学院卒業時までにまとまらなかったので、留年したところ、その年から神学校では??闘争が起こり、既に教会で教職(牧師)として働いていた私は、もう卒論はいいやあーということで、そのままになったということである。

・教会で働くようになってから、たまに「あなたは卒論、何を書きましたか?」と言われたりすることがあった。いちいち説明するのも面倒なので、実は卒論は書きませんでしたと答えることにしていた。でもその時はちょっと私の心が痛んだ。

・私が何故同級の友人のように卒論をかけなかったのかという理由は、今から考えてみれば、高望みをしていたからだと思う。自分の実力以上のものをと欲張って、まとめられなかったのだ。そのような自分の心の底には、ありのままの自分を素直に認めるのではなく、自分を良く見せようという私が居座っていたように思う。

・これがなかなか曲者で、私は、卒論を通常の大学院卒業までに書けないと分かってから、自分の感情の起伏が激しくなり、精神的に少しバランスを崩した。大学院入学時に学生結婚していた私は、妻に支えられて、何とかその状態を乗り越えられたが、場合によっては、どうなっていたか、分からない。

・ありのままの自分を自分自身が素直に認めるということは、言うほどやさしくはない。そのためには、ありのままの自分を優しく認めてくれる身近な他者の存在が必要である。そのような他者の存在を通して、あなたはあなたのままでいいんだよ、と語り続けている「神の肯定」に気づかされるのではないか。その時、ああ自分はこのままでもいいんだ、と思えるのだろう。

・その意味で、私たちは誰も、そのような他者の存在を必要としている。と共に、私たち一人一人も、他者を優しく受け入れる神の代理人のような立場にあるように思えてならない。