なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

荒川静香

トリノ冬季オリンピックで、フィギアの荒川静香さんが金に輝き、日本にとっては唯一のメダルということもあって、大いに騒がれている。テレビのインタビューでの荒川静香さんの受け答えを聞いていると、この人の資質が垣間見られ、優勝できたことも納得できるように思われる。

インタビューの荒川静香さんは、随分さめた人のように感じられた。冷静であるということは、ある意味で自分の心身とそれをみるもう一人の自分を持っているということだ。それは、今ある自分の心身を分析し、どういう状態かを判断し、こうしたらいいのではないかという自分の在り様を変えて行こうとする意志を持てるということでもある。

だが、そのことが返って自分の中に迷いを引き込み、分裂をかかえることにもなる。そうすると、スポーツのようなある意味で動物的な能力が求められる世界では、なかなか力を発揮することはできない。

荒川静香さんが、フィギアの実力を小さい時から認められながらも、なかなか十分にその実力を発揮できなかったのも、そういう自己分裂を抱えていて、競技の時にもそれが出ていたからではないだろうか。

ところが、今回荒川静香さんが優勝できたのは、体調も良好で、楽しくすべることに徹し、余計なこと(メダルをねらうとか)を考えなかったことにあったように思える。インタビューを聞いていてそう感じた。

このことは、キリスト教信仰では、神へのゆだね だと思う。イエスの山上の説教といわれる言葉集の中に、「思うわずらうな」という教えがある。その中で、空の鳥や野の花に、我々人間が学ぶことが勧められている。神に自分をゆだねて、神と一つになれば、必要なものはすべて与えられると言うのである。

心身一体というか。それは、愛されている両親や大人に守られている自由奔放な幼子の姿かも知れない。

我々は、神信仰において、この幼子性を与えられているのではないか。