なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

底点志向

この頃夜に目が覚めた時など、これからの世界、日本、そして私たちはどうなっていくのか、背筋が凍るような不安とささやかな展望、可能性が脳裏をよぎることがよくある。

私は、我々の将来への希望の道は既に目の間にあると信じている。それはイエスの道である。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ福音書14章6節)と、ヨハネ福音書の著者はイエスをして語らせている。

このイエスの道はどのような』道であろうか? 以前本で出会った、このイエスの道を示唆するコピーで私の記憶に残っているのが、二つある。一つは「下に登る」(中森幾之進)であり、もう一つは「底点志向」(深津文雄)である。

常世界での多くの人の生活は、上昇志向によって方向付けられているように思う。権力でも財力でも、それを最大に持っている者はごく少数である。封建的な社会での王権を思い浮かべてみれば、上昇志向の社会の在り様が良く分かる。王を頂点としたピラミッド社会である。ピラミッドの頂点に行きたい人が多いわけで、当然競争が激しくなる。勝ち組・負け組がはっきりしてしまう。

エスの道は、「底点志向」である。頂点は一人だが、底点はすべての人を包括している。ピラミッドの底点を思い浮かべて見ればよい。

頂点がその社会の中心だとしよう。その中心を社会の底点にしたら、座りが悪い社会で、ひっくり返ってしまうだろう。底点が社会の中心だからこそ、社会も安定するのである。上昇志向の社会は、頂点が社会の中心で、座りの悪い社会である。

エスの時代のユダヤの国もそのユダヤの国を支配していた大帝国ローマも、頂点中心社会で、多くの人には座りの悪い社会で苦しむ人が多かった。イエスは、底点にいる苦しむ人と共に生き、共に苦しみ共に喜ぶ人生を全うし、権力者に殺されてしまった。

しかし、そのイエスの「道」は後に続く者には「真理」であり、「命」となった(復活)。それは21世紀初頭の現在を生きる我々にとっても変わらない「道であり、真理であり、命である」。