なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

老いの場所

人間にはいろいろな場所がある。幼い時の場所、少年の時の場所、青年の時の場所、壮年の時の場所、そして老いの時の場所と、季節が移り変わるように人生にはいろいろな場所がある。確かトルニエという人が、同じ事を考えてか、『人生の四季』という本を書いていたように思う。

最近ちょっと気楽な本でも読んでみたくなって、斎藤茂太の『いい言葉はいい人生を作る』を手に入れ読んでいる。斎藤茂太は、ご存知の方も多いと思うが、斎藤茂吉の息子で北杜夫の兄になる。祖父の頃から続いている精神病院の院長で,精神科の医師であり、90歳くらいの人である。

その本の中に伊藤整の『変容』からの言葉があった。「夕映えが美しいように、老人の場所から見た世界は美しいのです。」という言葉である。斎藤は、この言葉の項の中で最後にこう書いている。

「死にゆくものがあるからこそ、新たに生まれる生もあるのだ。死は悲しいものだが、その悲しみに溺れることなく、自分の生をいききっていく。そんな凛とした姿勢を求めたいものと願っている」。

私たちは自分の願望通り事が進まないこともよく知っている。だから、斎藤の願望もそのように現実となってゆくかはわからない。けれども、そのような願いをもって老いを生ききっていこうとする姿勢は大切ではないか。

それにしても伊藤整の言葉は味わい深い。私は前にもコヘレトのことを書いたが、伊藤整の言葉から、またコヘレトの言葉を想い起こした。

「神のなさることは皆その時にかなって美しい」(口語訳3章11節)。

それが本当なのかどうか、私にはまだ分からない。たとえ聖書の言葉と言えども、分からないものは分からない。しかし、自分の与えられた人生を賭けて、この言葉が何を言わんとしているのかを尋ね求めいく価値はあると、私は思っている。