なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

人を導く力

★高校生からの質問 Part12★
「何故、牧師になろうとしたのですか?」

何故なのでしょうか? 今考えて見ますと、何かはっきりとした理由があって、自分は牧師の道を選んだのだろうかというと、そうでもないように思えてきます。自分で選んだというよりも、牧師の道に気がついたら導かれていたという感じです。

私はキリスト教主義の中学、高校に学びました。1954年の3月に横浜市立の小学校を卒業しましたが、中学校は母親が当時相当荒れていました地域の公立中学ではなく、横浜国大の付属中学校へ行かせたかったようです。しかし、国大付属中学は受験で落ちてしまいましたので、他に二つの私学の中学を受験していて、唯一受かったのが私の出た学校だったわけです。

このキリスト教主義の中・高ではじめて私は聖書やキリスト教に触れました。でも在学中は高3の秋までは聖書にもキリスト教信仰にも無関心ないしは批判的な関わりでした。高3の11月に友人に誘われて初めて教会に行き、その一ヵ月半後のクリスマスに洗礼を受けました。そのきっかけは今から考えますと、単純なことでした。その頃の私の精神状態は家庭の事情もあって出口なしという感じでした。身近な大人にも失望することが多く、自分はどうしたらよいのか分からない状態でした。

そういう時に教会で聖書、特にイエスの存在に触れ、また自分の生活の中に毎日曜日教会で礼拝を守り、教会の生活をもっている人がいることを知り、そのことが私には新しい発見でした。すぐに私自身も引き付けられるようにして、教会に結びつき、聖書とイエスの魅力にとりつかれてしまいました。

そうこうするうちに、自分の将来を真剣に考えるようになり、当時私が行っていた現在私が牧師をしています教会に来ていた神学生(牧師養成の神学校在学生)の影響も受けて、いつしか牧師になろうと思うようになったのです。

ですから高校を卒業してから3年間の回り道をして、21歳の時に私は神学校に入学し牧師になりました。

質問のお答えになったかどうか分かりませんが、人が一つの道に進むというときには、多かれ少なかれ、自分で選んだということもある反面、何かの力によって選ばせられたという面もあるのではないでしょうか。あなたにもそういう必然の力が注がれているのではないでしょうか。