なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

寿青年ゼミ

7月28日から29日にかけて、寿地区センター主催の青年ゼミが行われました。青年ゼミは、寿の街に触れて、野宿者のパトロールや炊き出しを体験し、日雇い労働者や野宿者の方々に実際に出会ってもらうために、大学生や教会青年を対象にして寿地区センターが年3回行っている集いです。今回は2006年度の第1回の青年ゼミで、一日目はいつもより参加者は少なく、十数名でしたが、29日は朝からフェリス女学院中高のYWCAの中高生が顧問の先生と一緒に十名弱参加があり、青年ゼミの炊き出しのそーめん約400食を何とか作って、寿公園で12時に配食することができました。

私は青年一人と一人の中学生と一人の高校生の男の子の4人で、主に厨房で乾麺のそーめんをお湯に入れてゆで、水で冷やす作業をしました。400人分となりますと、2キロずつ16回ゆでなければなりません。ゆであがったそーめんの入った、まだ熱湯の鍋を、ざるにあけるのです。ざるにあけられたそーめんは、すぐに水で冷やします。

出来上がったのを別のざるに移し、厨房のある一階から3階にもっていきます。3回ではハッポウスチロールの器25個が並べられていて、そこにざるのそーめんを25等部分していれます。その上に用意された具のネギ、わかめ、紅生姜、梅干を入れ、ケースに入れて、寿公園に持って行きます。

配食のときに、用意したつゆを器に注ぎ、炊き出しに来た方々に配ります。夏の暑い時期ですので、そーめんはみんなから好まれています。そうめんを準備した青年や大人も炊き出しのそうめんをみんなと一緒に食べます。炊き出しは、作る人、食べる人という、与えて・受け手という一方的な関係ではなく、みんなで作ってみんなで食べて、厳しい状況に日常的に置かれています日雇い労働者や野宿者に元気を出してもらうために行っています。

同じ人間なのに、その人の能力の違いや支えてくれる肉親や友人知人のあるなしで、その日の暮らしにも困っている人がいるかと思うと、安定した暮らしをしている人がいるという、何とも言えない〈不正〉がこの社会にはあるのではないでしょうか。寿の活動に参加しますと、こんな社会でいのだろうかという疑問を持ちます。

私は、「働ける人は働き、必要に応じてとる」社会がいいと思っています。障がいがあって働けなくても、まだ働けない子どもも、高齢になって働けなくなったお年寄りも、病気で働けない人も、みんな必要なものは与えられる、そういう社会です。そして働ける人は働き、必要以上に沢山のものを自分のものにして、人には与えないというのではない社会です。

かつてのソ連のような社会主義社会は、そのような社会を国家管理と党の指導性で上から作ろうとしましたが、ご存知のように90年に崩壊してしまいました。私は上からの権力によってではなく、みんなの自発性によってそういう社会ができたらいいなあと密かに思っています。夢の夢かもしれませんが。