なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

非戦を貫く

8月6日は広島に原爆が落とされた日です。長崎の原爆投下、そして沖縄戦と、戦災と共に日本における戦争の被害の深刻さを思わざるを得ません。私は、今年1月岩国基地の見学ツアーに参加して、広島の平和公園にも生まれてはじめて行きました。原爆ドームを見て、平和公園の資料館も見ました。いろいろ想像はしますが、ヒロシマの悲惨さは私の想像を超えているに違いありません。体験した人でなければ、本当のところは分からないでしょう。でも、出来るだけ想像力を働かせて、ヒロシマの現実に肉薄できればと思っています。

7年位前に、はじめて沖縄に行ったときもそうでした。高岩仁さんという映画監督が、沖縄の伊江島で、戦後の伊江島で米軍基地反対闘争を中心になって担われた阿波根昌鴻さんの映画を作り、その映画が完成した直後に、阿波根昌鴻さんのわびあいの里の協力を得て、平和学習会をしました。その平和学習会に参加したのが、はじめて沖縄に行ったときです。その時に、1日だけフリーな時間があり、一人で南部戦跡をめぐりました。行く先々で今も沖縄戦で死んでいった人々の叫びが聞こえてくるようで、とても観光気分にはなれませんでした。

さて、あの太平洋戦争による被害と共に、加害についても、本当はよく知らなければ、戦争というものの実体に迫ることはできないでしょう。数日前に、ある方が教会に訪ねてきました。1932年に私の属する教会で葬儀をしたその方のお姉さんについて知りたいというのです。

いろいろ調べて、確かにこの教会で葬儀をしたという記録を見せました。その時に、その方はご自分の戦争体験をお話してくれました。小さい時に自分の家は貧しく、自分は小学校しか出ていないが、ある牧師の家に書生のようにして住むことができて、その牧師から英語も習って、多少喋れる位になっていた。戦争に行ったときに、その英語力を買われて、諜報兵として、激戦地を回る仕事をさせられた。そこで経験したことは、地獄そのものだった。人肉以外は何でも食べた。その体験から、今でも肉を食べることはできない。また、水洗便所の水がもったいなくて使えない。飽食の日本を許せない。

戦後日本に帰って、お世話になった牧師を訪ね、自分はキリスト教や聖書によってはあの地獄のような戦地を生き延びることは出来なかったので、キリスト教も聖書も信じられない、と正直に話したと言う。その牧師は、分かった、教会に来なくてよいから、自分で生きなさいと言ってくれたと言う。その方は私も牧師なので、あなたには失礼だがと言って、そのように話された。

日本の国の侵略戦争において、実際に日本兵が中国その他の侵略地で何をしたのか、またどのような状況に置かれたのか、侵略地の人々にとってどうだったのか、加害の実体も明らかにすべきでしょう。この方の話からも、想像を絶する戦地の現実があるように思われます。

だからこそ、絶対に二度と再び戦争をしてはならないと思うのです。また、私はこの方のお話を聞いていて、キリスト教も聖書も戦争という人殺しの地獄を生き延びる力を私たちに与えてはくれないと思いました。むしろ、戦争を否定する力を与えてくれるのではないかと、この方のお話を聞きながら思っていました。