なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

生きづらさ その3

生きづらさについて考えていますと、現在の日本の社会そのものが生身の人間への眼差しをほとんど持てなくなっているのではないかと思えて仕方ありません。人が苦しんでいようが、悲しんでいようが、その人の苦しみや悲しみへの共感が、社会からどんどん失われていっているように思われるのです。ひとりひとりの人がどうなろうとかまわない。社会のシステムが動いていればそれでいい。そんな感じがします。

私は横浜の寿町という寄せ場(東京の山谷、大阪の釜ケ崎と共に寿町は日本の三大寄せ場と言われてきた)での活動に少し関わっていますが、寿で行われています炊き出しなどに来ているボランティアの方々の中には、寿町の仲間には優しさがあり、ほっとさせられます、とおっしゃる方が案外多いのです。

寿ではギリギリのところで生活している方が多いので、仲間同士での労わり合いや人への優しさが確かにあります。日常的に命の危険に晒されている人には、同じ命の危険に晒されている人の痛みが良く分かるのでしょう。もちろんそういう状況の中で、激しい憎悪のぶつかり合いもないとは言えないでしょうが。

むき出しの命と命が触れ合う場所は、現在の日本社会の中にそう多くはないように思います。

しかし、人間としての虚飾を脱いだ裸の関係から、何かが生まれてくるようにも思えます。そういう意味で、生身の人間の眼差しがぶつかり合う場所は、自動機械のような現代社会を生きる私たちには大切なのかも知れません。