なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

どこに視座をおくか

今朝も犬の散歩で、富士山を見ました。昨日の朝より更にモヤがかかって、見えましたが、一昨日の朝のように鮮明ではありませんでした。

犬の散歩から帰って、朝食をとりながら、テレビを観ていましたら、富士山に捨てられているゴミの凄さが放映されていました。レポーターによって実際にバイクや家電製品が捨てられている現場が映されていて、確かにひどい状態です。

横浜から遠景の富士山を眺めている限り、捨てられているコミまでは見えませんので、いつもながら富士山の美しさにうたれます。樹海の中で自死している人もいるでしょうが、想像力を働かさないでただ眺めている限り、遠くからは外観の美しさのみが際立って見えます。

このことは、どこから物を見るか、その場所や見る人の視点によって、同じ物や事柄でも随分違って見えることを物語っています。

迎撃ミサイル、パトリオット配備で沖縄の方々は、かつての沖縄戦で身にしみて軍隊は基地を守っても沖縄の住民は守らないこと感じていますので反対しました。私自身も日本の進むべき道は憲法9条による平和外交の努力以外にないと思いますので、米軍再編をはじめ自衛隊の強化は反対です。

しかし、現政府をはじめ私たちの中には安全保障上米軍の存在も自衛隊の存在も必要であると考えている人が案外多いのです。このような考え方を持つ人は、国あっての私たちだという見方をしているのではないかと思います。

私は戦後戦災で焼け野原になった横浜で育ったこともあり、国は私たちを守ってはくれないと思いますし、一人一人から、いわば下から自分たちで何でも考えていかなければダメだと思っている者です。

国や政治家に政治を任せている限り、何時まで経っても平和な社会は来ません。平和は平和を造り出す者によって到来するのです。平和の神を信じるのは、平和を神に任せることではなく、平和の神によって私たちが平和を造り出す者として呼び出されていることを信じることだと思います。