なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

ネット社会

今朝の朝日新聞を読んでいたら、「ネット社会」が実際に出来ていて、そのネット社会の住民として登録すると、そこで商売も出来るという。
そのネット社会では現在一日日本円で2億円位の商取引が行われていて、ネット社会の通貨はドルと交換できるようになっているという。
実際そのネット社会で儲けて、それで生活している人もいるそうだ。そのうちネット社会で宗教活動を行う人も出てくるだろう。現実社会の中で活動している教会よりも、ネット社会の中での教会の方が、人を引き付けることになるかも。
もしかしたら、既にそういうことが起こりつつあるのかも知れない。

これまでの人間社会では、自然との関わりの中で、お互いに直接的な心身の触れ合いをベースにして我々は生きてきた。ところが、ネット社会の普及は、ネット社会で生計を得て、現実の社会ではその収入で生活するという人を生み出すことになるだろう。
とすると、情報と想像力の世界に足場を持ち、現実社会では浮遊する人間が生まれて来ても不思議ではない。それがオタクと言われる人たちなのだろうか?

多様な情報と網の目のようにはりめぐらされたネットという情報ネット社会の到来によって、人間はどう変わっていくのだろうか、ぼくにはよく分からない面が大きい。
人間にとって環境の方が、自分が主体的にどう考え、どう生きるか、よりも比重が大きくなってきているのであろうか。
でも、ぼくは、イエスが何を思い、何を考え、どう生きようとされたのかという、一つの固有な物語を大切にしていきたいと思う。そして、その固有のイエスの物語を通して、いろいろな人と繋がって行くことができればと願っている。

もしかしたら、ネット社会という虚構の世界の中でも、命を大切にし命を害う死の力に抗うイエスの固有な物語が、その住人の中でも大切にされるようになれば、それでよいのかも知れない。