なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

入院記

先週5日間ヘルニアの手術で、45年ぶりに病院に入院した。

45年前の場合は、教会で卓球をしたりして、夜まで仲間と遊んでいたところ、急にお腹かが痛み出し、我慢しきれずにいつも診てもらっていた医院に行ったところ、手遅れに近い盲腸ということで、急遽大学病院に搬送され、その夜手術を受けた。腹部に膿が残っていたのだろうが、執刀した医者は盲腸の傷を全部縫って閉じてしまった。一週間経ってもガスが出ず、そのことを訴えたが、退院してよいということで、無理やり退院させられた。退院2日目くらいから痛みが強くなり、どうにもこうにも耐えられないほどになって、腸閉塞による再入院ということになった。
その時は、手術後父から死ぬかもしれなかったと言われた。腸閉塞の手術前の自分の感じから、我ながら納得できるものがあったので、そうだったのかと、父の言葉を感慨深く聞いたのを思い出す。後から聞いたのだが、自分が行っていた教会では祈祷会で僕のために祈ってくれたという。
この一度死に掛けた体験を契機に、牧師になる決心をしたということであれば、格好いいのだが、そうではない。ただ腸閉塞の傷みにどうにもこうにも耐えられなかったという体験と、腸閉塞の手術前の自分の体を自分ではどうすることもできないまま、周りの人に任せるしかない脱力状態の自分の体は、このまま続けば死ぬのだろうなあと、自分でも思えたほどだった。

そういうことで、45年前の入院は大変重かったが、今回は医者からも周りの人からも簡単だから心配しないでいいと言われていたので、気持ちは軽かった。実際に、手術も術後も特に問題はなかった。
術後2日目の夜の1時間半間隔の頻尿以外は・・・
たまたま私が入った病棟の病室が、眼科の人もいれば、内科、外科の人もいるという腰掛的なところで、数日その病室にいて別の病室や病棟に移っていくというところだったので、落ち着かない感じだった。入院したら、のんびりできて、宮沢賢治の童話でもゆっくり読めるのではないかと思って一冊聖書とは別に持って行ったが、それだけが想定外であった。

でも、この入院の体験が自分にとってのリフレッシュの機会になるのではと、密かに思っている。非日常的な体験によって日常を見直すことができるからである。特にこれからは自分の体にいつどんなことが起きても不思議ではないわけだから、今日一日しかないというつもりで、一日一日を大切にしたいと願っている。