なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

イエスの十字架

   教会暦によりますと、417日の日曜日はイエスエルサレムに入城された日である棕櫚の主日でした。この日イエスはろばの子に乗ってエルサレムに入ったというのです。群集も棕櫚を振り、道に自分たちの上着を敷いて、ホサナと叫んでイエスを迎えたと言います。しかし、イエスはこの週の金曜日には十字架につけられて殺されてしまいます。
   エスの十字架は、「わたしたちのために」神がイエスを十字架にまで引き渡し、わたしたちの罪を贖ってくださったという風に正統的なキリスト教では語られています。そのことを否定する必要はありませんが、その前に、イエスの十字架は歴史的になぜ起こったのかということを考えなければなりません。福音書の記述からすれば、イエスは殺されたのです。当時ユダヤローマ帝国の属州になっていましたので、ユダヤ人の自治機関であった議会(サンヒドリン)には死刑執行権はありませんでした。ローマの総督ピラトが死刑執行権をもっていましたので、最終的にはイエスは何らかの形で反ローマ運動の首謀者として処刑されたと思われます。十字架は政治犯を処刑するローマの酷い刑罰です。イエスが十字架にかけられたのは、最後的にはピラトの判断によるとしても、ピラトのところに訴えたのは、ユダヤ人の大祭司をはじめとする支配層の人たちでした。さらに彼らにイエスを売り渡したのは、イエスの弟子のひとりであったイスカリオテのユダです。ペトロの否認をはじめ男弟子たちは逃亡してしまいました。女弟子は最後までイエスを見守りましたが、イエスを十字架につけるのを止めることはできませんでした。群集も、イエスエルサレム入城の時には、メシア(王)を迎えるかのように歓呼して迎えたのに、祭りの時に恩赦で釈放される一人について、ピラトが「イエスかバラバか」と群集に問うた時に、群集は「バラバ」と答えて、イエスを十字架にかけろと叫んだというのです。つまりイエスを十字架にかけたのは、ピラト一人ではなく、そこにいたすべての人だったのです。ですから、イエスの十字架を想い起こすとき、「わたしたちがイエスを十字架につけた」という側面を忘れてはならないと思うのです。
   髙橋和己は『明日への葬列』の序文で、「死者の視野にあるもの」という題で書いています。殺人事件の被害者のような不条理の死を遂げた人の眼球を通して見える世界があるのではないかというのです。十字架死を遂げたイエスの眼球からは、わたしたちやこの世界がどのように見られたのでしょうか。イエスの十字架によって、わたしたちの罪が明らかになり、そのわたしたちの罪が裁かれているのです。イエスの十字架にはこの側面が強く刻まれていることを忘れてはなりません。同時に、イエスはそのようなわたしたちの「罪と死」を背負って死んでくださったのです。そこには、確かに贖罪という側面がイエスの十字架に刻まれているように思われます。
   このようなイエスの十字架を通して開かれている未来に向って、わたしたちが歩んでいくようにと、わたしたちは大いなる命(神)によって招かれているのではないでしょうか。
   今日(424日)はイースターです。十字架のイエスが復活のイエスであることを信じ、わたしたちに先立ちたもうイエスに従っていきたいと思います。             (船越通信№3、2011年4月24日)