なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(1)

 
   父北村雨垂とその作品(1)
    
  
・   わたしの父は北村雨垂という現代川柳家でした。雨垂はペンネームで戸籍名は良作と言いました。すでに亡くなって四半世紀になりますが、最近私が紅葉坂教会の牧師館から船越教会牧師館と鶴巻のマンションに引越した時に、父親の遺品特に作品の書かれたノート類を鶴巻に移しました。それらのノートを連れ合いがめくっていたときに、父親が子供たちにいつか自分の作品を本にしてもらいたいということを書き遺していたのを発見しました。
     一昨日紅葉坂教会時代の青年が鶴巻に来て、私の父親の作品ノートをぺらぺらめくって読んでくれました。以前連れ合いが彼女に父親の作品について話していたようで、彼女が興味を示していたからです。すると、彼女は自分の好きな歌手の誰かの詞と共通する何かを父親の作品に感じたようで、本にしたら一冊買うから本にしてよと、私に言いました。私はまた一つ宿題を与えられたように思いました。そこで、この私のブログに「父北村雨垂について」という連載ものを入れて、父親の作品を紹介していこうと思いました。そうすれば、父親の作品を徐々にワープロ化できますので、本の出版の準備にもなるからです。
     私が父親の現代川柳で唯一記憶している句が一つだけあります。
     それは「北風に柿が某戦犯の夢を描いた」という句です。
     この句は、戦後シベリヤに抑留されていた人たちのことを思って、晩秋のいくつか残った実のある柿の木に、冬を告げる北風がシベリヤの方から吹いてきた季節の頃、極寒の地での抑留者の生活を想像して描いた句ではないかと思います。私にも分かる句ですし、シベリヤ抑留者のことは日本の国の戦争責任との関わりで、私自身にも関心がありましたので、父親も同じなのかもしれないと、高校時代に思って、この句だけは覚えていたのです。
     川柳というと、風刺や滑稽が中心だと思いますし、俳句と比べますと文学性に劣っているような通念があるように思いますが、父親の川柳はどちらかと言いますと、短詩といった方がよいかもしれません。シュルレアリズムの影響を受けているようで、日本では西脇順三郎がシュルレアリズムの詩人で、父親もその影響を受けているのかもしれません。『現代川柳ハンドブック』(1999年、雄山閣発行)の中に父親の句についての以下のような解説があります。
     辯證の諸君見給え無精卵』  北村雨
  北村雨垂(うすい)(明34~61)が、昭和25年に横浜の『川柳部落』第三号に発表したもので畢生の代表作。西田幾多郎の哲理に没入していた青春期に、島紅石(こうせき)、長兄・北村邦春の薦めで、「十七音による〈絶対無〉」の可能性を求めて川柳に踏み込み、川上三太郎に師事した。以後、『川柳研究』の幹事として絶後の作品を画す。形而上の思惟から近未来を洞察したこの一句は、後進に川柳が短詩として昇華し尽くすことを見事に顕示。(瀬々倉卓治
・ 私の連れ合いは、この父親の遺伝子を息子である私が受け継いでいると言います。そうかもしれません。一見柔和そうに見えますが、芯は頑固ということでしょうか。ということで、この父親の作品を順次、気が向きましたらこのブログで紹介していきたいと思います。特に聖書やキリスト教に関係はしていませんが、何か通じるものがあるかもしれませんので、読んでいただければ幸いです。