なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(22)

  21日の日曜日の礼拝後、21日(日)から22日(月)にかけて、横浜市都筑区にありますあゆみ荘で行われました障がい者と教会の集いに出席しました。そして、22日(月)午後4時から東京の信濃町教会で開催された教団ジャーナル「風」シンポジウムにも出席しました。その夜は鶴巻に泊り23日(火)朝早めに船越教会に向かい、23日(火)-24日(水)と船越教会で開催されるフェミニスト神学の会の準備をし、会にも出席しました。日曜日から水曜日まで集会が 連続し、今ちょっとほっと一息ついているところです。
 さて今日は「父北村雨垂とその作品(22)」を掲載します。
 
父北村雨垂とその作品(22
 
 以下句の中には下に「対」と記されているものと「研」と記されているものがあります。おそらく「対流」は川柳家仲間の機関紙ではないかと思いますし、「研」は川上三太郎主宰の「川柳研究」ではないかと思われます。
 以下 ? のあるところは字の判読ができないところです。
 
円心のない点 、線の逃亡記       研
円心のない直線の逃亡記
円心の無い 水平線は描くばかり
みみづくの 法?応とさかしらな
雛壇も爺より婆の深い皺
干柿は蟹の涙を語るかに         研
千年が  ( バラ )と眞珠に風化する
水蓮の蛙は 明日の天気をさだめ
東方の阿修羅宰相も蓮糸の孔
南天を見上げるアヒルの老夫婦
深々 (ふかぶか)と 眞理はねむるウズラの卵
能面のあわれや獅子の透きとほり     対
絶望の夢能面はくちびるに
粘華微笑 刀剣に苦笑したか
紫陽花の打たれる雨に頑なに       研
 (この句の「打たれる雨に頑なに」の部分に、「雨に打たれて笑うかに」と「打たれて雨を笑うかに」が付記されています。)
紫陽花も呆れ蝸牛の呆れ
垂直に笑えぬ「人」を 持ち歩るき    対
面壁や業には五つの?気嵐
能面のやがて孤獨が火を噴く時      対
からかさの思想をみたか錦鯉       対
眠られぬ 夜は幻影の人を追う
乞食を 鵝王と山羊は流し目に      対
佛壇の側で花瓶と並んでる持薬
佛壇の花と並んだ薬瓶
からかさの端の宇宙を錦鯉
怨念の陽を七色にはね返す硝子の破片   研
幻影の人追う夜が二時を聞く
 
クロ-バーを胸に 女は海(沖)を歩く
ひとり泣く 汀は月が 白くする
銀座の鶉新宿の鶉夜孵る         対
銀座の夜をこころころころこぼれる時刻 ( ころ )
山上の辯証 更に 殺意を ( と )
雪の朝は生きていたソクラテス ( しらみ )    研
風化した花か眞珠か鶴と亀
ひとり泣く汀も月の白さにて
合歓の花は 蛾に ( おか )せれぬ 夜明まえ
合歓の花も 蛾に犯されぬ 月見草
青年の 蛾も夜る犯す合歓の花      対