今週は忙しい時を過ごしています。今日も紅葉坂教会で夜集まりがあり、出かけました。紅葉坂の坂を歩いていると、紅葉坂教会の青年に出会い、「先生!」と懐かしそうに声をかけられました。そして、教会に入ったら、私が紅葉坂教会を3月末で辞任してから、青年たちで一言ずつメッセージを書いてくれた「感謝状」と一人の青年が作ってくれたアルバムを手渡されました。「感謝状」には「きたむらじろう殿 あなたは多年にわたりぼくしとして多大な貢献をされました。よってその功績を讃えてここに深く感謝の意を表します。23年3月31日もみじざかきょうかいせいねんかい」とありました。3月の最後の日曜日には、日曜学校の子どもたちとスタッフからも、同じように一人一人からのメッセージをもらいました。うれしいことです。彼ら・彼女らがこれから一歩一歩自分らしく生きていけるように、祈っていきたいと思いますし、私の命ある限り、できることはしていきたいと思っています。できることと言っても、いつでも来ていいよと、メッセージを発しつづけることぐらいですが、そうしていきたいと思っています。
さて、今日は以下「父北村雨垂とその作品(23)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(23)
以下父の句の中には下に「対」と記されているものと「研」と記されているものもあります。 おそらく「対」は「対流」で川柳家仲間の機関紙ではないかと思いますし、「研」は川上三太郎主宰の「川柳研究」ではないかと思われます。
? は字の判読ができないところです。
風化した 女に 花も眞珠も在り 対
歩くロゴス紅衣に青いマントのひと 対
(この区には「歩くロゴス紅衣に青いマントの女 ( ひと )」が並行して記されています。)
赤ん坊の声もみどりに母もみどり
赤ん坊も母もみどりに陽を浴びて 対
原色で歌う 光と影の椿
原色のコーラスを 椿 光と影
春だ 雑木林の交響曲 ( シンホニー )は 銀だ
沖を歩く 女は胸に クローバーを 対
ひとり泣く渚か 月か 白きかな 対
かたくなに歌う椿は「遜色なり」と 対
原色で歌う椿のかたくなさ
春は銀の雑木林の交響曲 ( シンホニー ) 対
折紙は無心で神を翻弄す 対
欠伸する鷙と蛇とに桜散る 対
躍る滝壺智惠も目玉も舌を吐く
銀座砂漠を吹き上げる夜のふいご
滝壺も乱舞に智惠が舌も吐く
青年の 蛾の夜犯す ねむの花 対
花吹雪鷙と蛇とが欠伸する
ソクラテスの虱も裸足銀座の朝 対
銀座の朝の裸足のソクラテスと虱
からかさ の 思想を識るや錦鯉 対
(この句の「識るや」を「觀たか」、「思想を識るや」を「思想とみたか」に訂正しているところがあります。)
滝壺も知惠も乱舞に舌を吐く 対