なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

統制ではなく対話と論争を

・この2ヶ月ほど、ブログを生真面目にアップしてきました。どうも何事にも己の気性が現れるようです。生真面目なところが私の特徴の一つのようです。
 
・神奈川教区で2002年の教団総会後に「かながわ明日の教団を考える会」を有志で立ち上げました。そろそろ9年になりますが、昨日も紅葉坂教会で会がありましたが、47回になります。年5~6回のペースで続けてきたことになります。これも最初からずっと私が事務局を引き受けています。そろそろ若い人にバトンタッチしたいのですが、若い人たちの中にはなかなか引き受け手がいません。
 
・さて、昨年の戒規免職を教団から受けるまで、私は教団常議員として約6年間教団と関わりました。その頃の関係を引き継いだ有志の会が東京であり出席しました。
 
・そこに出席していた一人が、8月末に開催された教団の東日本大震災緊急シンポジウムに出席していて、その報告を聞きました。教団新報の記事ではその会の出席者は440名とありますが、実際は200名だったようです。
 
・同じく8月末に開催された教団ジャーナル「風」のシンポジウムには150名の出席がありました。そちらの方には私も出席しました。
 
200名と150名は、昨年秋の第37回教団総会で例の「議案ガイド」という怪しげな文書が一部の総会議員に配布されて、その「議案ガイド」の通りに全ての議案が議決されたわけですが、その数が賛成200、反対150と全く同じです。不思議なものです。
 
・この教団東日本震災緊急シンポジウムのメインの講演をした大木英夫さんは、質疑で教団の信仰告白と戦責告白についての質問に対して、両方大切で、信仰告白制定時に戦責告白も信仰告白の中にいれておくべきだったという主旨の発言をしたそうです。また今の教団の二分化については、第二信仰告白をつくって教団の多様性に対応するような話もしたということです。
 
・もしそれが本当だとすれば、教団信仰告白と教憲教規遵守一本やりで、違った立場を認めない今の教団の大勢の考え方と大木さんは違うことになります。その真偽は分かりませんが、私は改めて統制による一致ではなく、違いを違いとして認める中から、対話と論争を通して一致を求める道こそ、私たちが進むべき方向性ではないかと思いました。それには忍耐がお互いに必要です。しかし、忍耐にも限界があります。それでも忍耐の限界ギリギリまで対話にかけていきたいと思いました。