なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

日本基督教団マニュフェスト私案

 私も今年の12月になりますと70歳になります。教団は認めていませんが、今は週の後半日本基督教団船越教会で牧師として働いていますが、今後どれだけ働けるか分かりません。そこで、私がかながわ明日の教団を考える会で以前に問題提起した「日本基督教団マニュアル」私案を下記に記しておきます。私は今でも日本基督教団の将来があるとすれば、このマニュアルの方向性ではないかと思っています。
私は昨秋の教団総会前に、教団総会議員全てに審判委員会による私の戒規免職決定を批判し文書を送りました。その中に私の「日本基督教団マニュアル」私案も同封しました。私が教団改革に打って出るといことではなく、これからの人たちに教団の在るべき姿としてこういう可能性もあるということを知らせたいと思っただけです。ある種のパフォーマンスです。ところが、もしかしたらこの私の「日本基督教団マニュアル」私案を見て、これはどうしてもつぶしておかなければならないと思った人がいて、昨秋の教団総会で、東神大を支持する福音主義教会連合と連合長老会に働きかけて、教団総会を自らの立場によって統制しようとして「議案ガイド」なるものによって全ての議案を自分たちの思い通りにリードしたのかもしれません。そして私の戒規免職の撤回議案も、すべて前以て葬るために今までなかった議案整理委員会を常議員会でつくり、教団総会議案としないようにしたのかもしれません。もしこの私の推量が事実であるとすれば、何故そこまでしなければならなかったのでしょうか。私は東京神学大学が教団立神学校として今後も財政的に教団の諸教会が支える体制作りにあると思っています。現在東神大は大学としての形態を守ることができなくなっています。そのため文科省(かつての文部省)の私学助成金が減額されています。その穴埋めに教団の諸教会から東神大への献金・寄付をなりふりかまわず集めています。そのことが「それいけ伝道」を標榜する護教をめざす現在の教団の大勢と連動しているのではないかと思います。しかし、この動きは内容的にある種のアナクロニズムですし、将来に向けて説得力があるとは思えません。しかし、今の教団執行部を批判する力が強くならない限り、なかなか現在の教団執行部が変わり、教団の大勢の考え方を変えることはできないでしょう。
そこで、今後の日本基督教団の教会としてのあり方について、みなさんに私の「日本基督教団マニュフェスト」私案を参考に考えていただき、それぞれの所で、しっかりと教団の在るべき姿を思い描き、それに向って教団形成をしていってもらいたいと願う次第です。
 
日本基督教団マニュフェスト私案               作成:北村慈郎
 
I 日本基督教団の教会としての枠組みに関する提言
 
1)日本基督教団は合同教会として開かれた、平和を愛する主に導かれた教会をめざす。たとえば、教権を否定するならばカトリック教会とも合同の可能性を内包する合同教会として開かれた教会をめざす。
2)日本基督教団は社会的に疎外差別されている人及び小規模でも福音宣教の課題を担っている教会・伝道所をその中心にした交わりをめざし、相互の支え合い、分かち合いを大切にする。
3)沖縄教区との関係の修復からやり直し、合同のとらえなおしを推進する。
4)教団信仰告白と戦責告白は暫定的に相補的なものとするが、教団の信仰告白であるならば、国家の要請に教会側が主体的に内応・呼応して成立した教団の負の歴史を克服する内容をめざさなければならない。このことは、平和に反する国家の要請には、教会として主体的に内応・呼応しないことをめざす。
信仰告白はなくてもよいが、必要ならば、教団信仰告白と戦責告白両者の矛盾を止揚するために新しい信仰告白を作るか、または、それぞれの地方的なものも作ることもでき、全教団としては複数のものをもつこともできる。複数の信仰告白にはっきりと相反する立場がある場合には、相互調整し、全体として同じ方向性をめざす。
5)二重教職制の問題と教師検定問題の解決を図り、教師検定問題で教団教師から疎外されている受験拒否者(補教師も信徒伝道者も)及び福音主義教会連合で按手礼を受けている者は、本人の希望があれば、すべて教団正教師にする。また希望がない場合もその人を教団正教師に準ずる扱いをする。
6)聖餐は日本基督教団としてしては現在「閉じた聖餐」を共有しているが、「開かれた聖餐」を試行することも認める。教団として聖餐についての研究、論議の場を設ける。
7)教団の諸活動は教区が中心的に行う。場合によっては数教区が一つの教区のような活動をしてもよい。教区の教会性を最大限に認める。教区は教会・伝道所に仕え、教団は教区に仕える。現在教団が行っている働きの内教区に移行できるものは全て教区に移行し、全体教会としての教団の働きは必要最低限にする。それに従って教団事務局の働きを縮小し、教区の働き・事務局を充実する。但し地域によって教区格差が出ないように、教区間の連帯の在り方を考える。
8)教師の人事権は教区がもつ。基本的にはパリッシュの形(教師の所属は原則的に教区にある)を取るが、教師の教区間の移動も認める。その場合は教区と教区の話し合いによって進める。
8-b)各個教会と教師の関係において、現在のような直接的な雇用関係(?)は廃止する。教師の雇用関係は教区か教区の下に作られるブロック(地区、支区他)と結び、教師の経済的な保証は少なくとも教区単位で一律にする。
8-c)各個教会は信徒の自主的な集団とし、各個教会と教師の関係は固定的な関係ではなく、流動的な関係にする。
 各個教会についての提言
     現住陪餐会員が100名を越え、150名になった段階で教会は原則的に二つに分かれる。但し、各地域の拠点にはメガチャーチを作り、その地域全体の諸教会・伝道所の働きを支える。
     もし、各個教会に「教会形成基本方針」が定められている場合、「現住陪餐会員が100名を越え150名になった段階で教会は原則的に二つに分かれる」の条項を追加することをお薦めする。
Ⅱ 具体的な提言
 
9)教区総会議員、教団総会議員の半数以上は「女性」から選ぶ。
10)教団議長か副議長の一人は人数、財政の小さな教区から出す。
11)教師養成は各神学校に一部委ねるが、教団独自に養成機関を設置し、そこが当たる。
11-b)教師の再教育システムを各神学校と連携しながら教団単位と教区単位に置く。  
12)各教団認可神学校の自主性を重んじるが、教団立東京神学大学については、合同教会としての内実をもつ神学校になるように体制を抜本的に改め、機動隊導入の否を認めて再出発するように促す。
13)総幹事、幹事の給料は大幅に牧師給を上回らないようにする。
14)教団年金は、継続するなら、掛け金に関係なく全引退教師に同額を支給する。或いは引退後のその教師の経済状態を勘案し、支給額を決める。
15)教職謝儀は、各教会の2分の1を教団に拠出する。その分は教会謝儀以外の収入のない全教師に対等に分配する。教会謝儀以外の収入のある教師は別途考える。
16)教区への年度報告に関し、現行の男女別出席者数の区分を撤廃し、一括出席者数とする。
17)各個教会の枠を越えた信徒の繋がりを創出し、地域の問題に応える運動を形成する。
   主日礼拝と日常の生活過程とを一応区別し、生活過程における信徒のネットワークを地域別、関心別グループとして形成する。
18)形式を含めて現代における礼拝のあり方を模索する。
 
 ・ この「日本基督教団マニュフェスト私案」は、上記のIに属するものとIIに属するものに分けて、それぞれ思いつく問題や課題について、こうしたらどうかと思うことを、KJ方式に倣って、それぞれアトランダムに挙げたものです。これはある会に配布したものですが、完成されたものではありません。全くの私の思い付きです。一、二個人的な意見を寄せてくださった方があり、その方の意見も採用してあります。
     信仰告白、教憲教規を声高に言って、教会の現場からの創造的な意見や発想をくみ上げない今の教団には未来は望めません。現場で苦闘しながら生み出してきた未受洗者にも開かれた聖餐式を、議論もせずに、教憲教規違反による違法聖餐だと言って、切り捨てたのでは、話になりません。頭が固いというか、人間の痛みや悲しみへの共感が余りにも欠けているというか、イエスからどんどん教団は離れていくかのようです。
     そのような中で今回私は不当な免職処分を受けましたが、少なくとも40年余教団教師として歩んできた者として、私も教団の未来には責任を感じております。そこで、全くの私案でありますが、この「日本基督教団マニュフェスト私案」を公表させていただきました。今後の教団形成に関わるか方々に参考にしていただければ幸いです。