なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(32)

 
 昨日の日曜日の礼拝には船越教会に新来者が4名出席しました。船越教会は場所的には、通りに面していて人通りがあって、ふらっと入ってくるようなところではありません。トンネルの入口の崖上にありますし、教会の前の道路は追浜と田浦を結ぶ海よりの抜け道のようなところで、一車線でトラックも頻繁に行き来しています。歩道は2メートルもありませんので、自転車が交差するのもままならないくらいです。金沢八景、追浜、横須賀を走る幹線道路の16号線からも少し入ったところですので、京浜田浦駅から歩いて十数分かかります。ですから、教会の礼拝に来る人は船越教会の礼拝に行くという意志をはっきりと持った人でないと、なかなか日曜礼拝には来ません。そういう場所にある船越教会の日曜礼拝に新来者が4人も来るというのは、大変珍しいことです。この4人の方は皆私つながりの人たちでした。その内のお一人は、自分の所属する教会はあるのですが、その教会から心が離れている人です。実はこういうキリスト者の方が案外多いのです。信仰は大切にして生きていきたいが、教会には躓いてしまうという人です。この方々は自分をしっかりと持って生きている人が多いように思います。そして自分の信仰の感性やキリスト教理解、特に社会的な関わりを大切に考えている人が、自分の所属する教会に躓くという場合が多いように思います。実際教会からは離れていますが、自分はキリスト者であると自認していて、人権や平和の問題に取り組んでいる方に、運動体でお会いすることがあります。このことは大変残念なことです。昨日もそのお一人の方と礼拝後少しお話をしました。
 私は教会を「自立と共生の場」として考えています。今の船越教会は礼拝出席が10名前後ですので、ほとんど毎日曜日礼拝後お茶を飲みながら歓談のときをもちます。そのときに結構本質的な問いが出たりします。それが、それぞれの生活過程の中で直面している問題や課題だったりします。私はそこでの対話を大切にしていきたいと思っています。「隣人の発見」「出会い」、そして「変容」(隣人の発見と出会いによって気づかされて自分が変わり、対話の相手も変わる相互変容)、そして「共に生きていく」という他者との関係によって自分と他者の中に起こる出来事が、教会には豊かにあるということになれば、教会に躓く人は少ないでしょう。教会に躓くのは、教会が集団主義的な組織体となってしまい、発見や出会いや変容や共生という出来事が希薄になるからだろうと思われます。船越教会をそのような出来事を大切にする教会として形成していきたいと思っています。
 さて、今日は「父北村雨垂とその作品」(32)を掲載します。
 
父北村雨垂とその作品(32)
 
父が遺した二冊目の作品ノートに入ります。“足跡”と表題がつけられた句集があります。自分の戦前の作品をここにまとめて書き出したのではないかと思われます。以下その作品を掲載していきます。
 
= 足跡 =
 
終戦後に残った雑誌などから拾ひがきしたので、かなり落ちてゐる作品があるやうに思う。殊に十五年から十七年の三ヶ年の作品が一句もない事は一寸考へられない。或はなかったのかも知れないし、あったのかも知れないが、いまのところ記憶がないので、なんとも言へない。
それにしても省りみて余り気に入った作品がないのには驚ろいた。いつも創った当座は、なにか素晴らしいものが出来たやうに、嬉しかったものばかりだった気がするのだが、こうして振りかへってみると、まことにつまらないものばかりである。といって捨て去るには、これはまた惜しい。おそらくそれは、その作品が出来たときの苦しみが、それに愛惜の情を強いてくるのであらう。作品の良い悪いは別である。私の作品は私が大切に保存することが、私のほんとうの愛情である。
評者は何と言はうとも
 
                                雨垂
 
八年度
 
嫁の口ふつつかものにされてたち
酒呑んでしばし權利と義務の外
太陽をひとつづつ持つ壜の肩
すばらしい個人主義なりかたつむり
生きようとすれば台地に蹴躓き
認められやうと焦って疎まれる
石塀へ幸福とみし第三者
どんぞこの暮しへかたくなな言葉
 
生活史象牙のパイプだけ残り
 
太陽にたまには禮を言ひたまえ
提灯にうつる世間はニ三軒
読みおえてなにを得たりと聞くなかれ
風はこう吹いてゐるぞという煙り
眼を伏せてこころの中のひとに会い
風向きの変る間を風はなし
 
耳たてて聞けば譫言子を思ひ
親類がこんなにあった北枕
人生はこの六尺の箱に閉づ
諦めてしまへと經が無理をいふ
 
つれづれにかけたラチオの米相場
 
飼へばえを爭う鯉となりさがり