なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(26)

船越通信№26   2011年10月9日     北村慈郎
 
  102日の礼拝には、紅葉坂教会時代に私が結婚式の司式をしたHさんとその子どもで現在中学3年生のT君が来てくれました。朝9時半過ぎに礼拝堂で準備をして、牧師館に戻ろうと礼拝堂を出たところに、二人が立っていました。予期していませんでしたので、私はびっくりしてしまいました。Hさんとはいろいろな繋がりがあって、今までもしばしば私を訪ねてくれて話をしていました。このところしばらく会っていませんでしたので、どうしているか気になっていたところでした。礼拝前に近況をお聞きすることができました。
  この日にはもう一人、紅葉坂教会時代の人が新しく礼拝に出席しました。また別の教会の方の出席もあり、13人の礼拝出席者がありました。うれしいことです。
  T君は千葉の木更津にある学校で寮生活をしています。ちょうど日曜休みで家に帰っていて、お父さんのHさんと礼拝に来てくれました。二人にはその日の午後自由な時間があれば、汐入のダイエーの海側から軍港めぐりの遊覧船が出ているので、乗ってみたらどうかと勧めました。もしかしたら8月末に横須賀港に帰って来た原子力空母ジョージ・ワシントンが停泊しているかもしれないので、T君にも米軍基地の実態を少しでも知ってもらいたいという思いがあったからです。礼拝後のお茶の途中で二人は出かけて行きました。
  104日の火曜日18:00から神奈川教区の常置委員会があり、私も寿地区活動委員会とオリエンテーション委員会の委員長として出席しました。鶴巻から少し早めに出て、横浜キリスト教書店により用事を済ませて、常置委員会が行われる蒔田教会に向かいました。今回の常置委員会では、昨秋行われた教団総会についての議長書簡で確認したいことがありました。その議長書簡の中に、「未受洗者に配餐している教会は速やかに中止するように」という一項目が入っていますので、この「中止するように」ということは、要望なのか、中止しない場合は教団における私の戒規免職処分のように処分を意図したものなのかどうかということです。そのことを私が質問しました。岩崎隆議長は、「現在の教団では未受洗者への配餐は教憲教規違反であるとされているの、それに則って中止するように」と書いた。一方神奈川教区は北村戒規免職処分については抗議撤回を求める議案が教区総会で可決されているし、聖餐についても話し合いの場を設けることを教団に求めているので、処分というようなことが全く考えていないということでした。
  今回の常置委員会では私が発言する機会が多くありました。上記もそうですが、常置委員の中には常置委員会で今までに決めたことの記憶がなく、その決定を覆すような発言が出たりしますので、私のように10年近く常置委員会に出席している者が発言せざるを得ないのです。常置委員の中には教師を免職になっている私のような者が頻繁に発言することを快く思っていない人もいますので、なぜ北村さんに発言を許すのかという人もいるようです。
  1010日の祝日に「原子力空母の危険性」についての講演と米軍基地と隣接する海上自衛隊の基地を船をチャーターして海から見学する、教区のオリエンテーション主催、基地・自衛隊問題小委員会、核問題小委員会共催の集会を横須賀で予定しています。私が責任を持っていますので、講師、食事、会場、船の確認を6日から7日にかけて行いました。その関係で横須賀中央まで行きましたので、船越教会のお年寄りのK子さんをホームにお訪ねしました。しかし、その日Kさんはデイサーヴィスに一日行っているというので、お会いすることが出来ませんでした。デイサーヴィスにいらっしゃるということは、お元気にしておられるのではと思って帰ってきました。
  102日の礼拝説教は、マルコ福音書525-34節の十二年間長血を患っていた女の癒しの物語からメッセージを取り次ぎました。12年間も一つの病気で苦しみ続け、そのために全財産を失ってしまったこの女の人の絶望的な状態について、まず思いを馳せました。特にイエスの時代のユダヤ社会では、この女性は肉体的苦痛としての病だけでなく、汚れた者というレッテルによる社会的な苦痛を背負わされていました。H.C.ピーパーは『病気になったとき』という本の中で、病気に襲われたとき、その人が持つ「根本感情は、なにか腎臓とか心臓とかが故障しているだけでなくて、われわれ自身が故障しているということである」と言っています。病気の人を襲う不安は、「わたしはもう何の役にも立たないのではないか」という存在そのものを問う不安だというのです。普通病人が切実な思いで健康回復を願うのは、再び健康になって、活動できる自分の存在を認めてもらいたとの思いが強いからでしょう。しかし、この女の人は12年間も病を背負ってきて、もう健康の回復はないのではと、自分はいったい何のために生まれて来たのだろうかと、自らの存在の意味を疑いたくなるところまで追いつめられていたのではないでしょうか。そんな時彼女はイエスと出会い、群衆に紛れこんで、イエスの服に触れたのです。もちろん治りたいという思いからでしょうが、私には、彼女は自分がイエスの所に行くというより、イエスに呼ばれて行ったように思われます。イエスのことを噂などで知った彼女は、イエスならこんな自分のところにも来てくれるのではないか。そういうイエスに引き寄せられて、彼女はイエスの服に触れたのだと思うのです。12年間の病によっても隔てられないイエスとの親密な関係に、イエスの服に触れることによって、彼女は引き入れられたのでしょう。彼女は、弱く無力な自分をも見捨てることなく、慈愛をもって迫りたもうイエスにおいて、何ものによっても引き離し得ない神の愛に包まれた己を発見したのではないでしょうか。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もう病気にかからず、元気に暮らしなさい」(34節)。この女性はイエスとの絶対的な関係から来る命によって病気から救済されたのでしょう。