なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂その作品(35)

 以下は父の昭和10年、1935年の作品と思われます。この頃の作品は、まだ観念的でも抽象的でもありません。ただ物事を観る父の視点は大分斜に構えているように思われます。自分の中に日常をただ生活者として徹することのできない余白のようなものを抱えて、その父の部分が川柳の創作に向わせたのかも知れません。
 
父北村雨垂とその作品(35)
 
10年度(1935年度)
 
双六を圍む興味が怖ろしい
犬の鼻の下に正月の紳士
万才の素通りしたる淋しさよ
北風によろけたやうな犬の道
正月も犬は眠れぬただの冬
三ヶ日忙しや母のおん姿
泣いた日を引けばいのちの矩かさよ
 
科学者も食べる易者も生きてゐる
 
輝ける釦が胸に苦を覆ひ
眞黒になった電車の中の雪
運命のうえに時計が音をたて
貧しきも金を儲けた夢をみる
調理場に知らず卵は時を待ち
四番目の子は新しい着物を着
石垣の隙に名もない草の幸
住みなれた色とはなれり壁のしみ
何気なく今日を抹殺した枕
夢をおく枕に死んでゐる脂
明日もまた斯うして垢のでる身体
 
波のうえ変り果てたる月をみし
 
穂を捧げ盡せり麦の枯れたまま
 
素晴らしい月夜である洗濯してゐる
 
やや誇張した音に銭土間に落ち
 
突きだした金へうっかり手を伸し
 
夢の中に倖せとみしわが姿
不足勝ち影の形に添う如し
こほろぎのなにかりそめになくべきや
文明といふ気狂に似てるもの
三等郵便局の窓口の女房達
割りきれぬ仲母と娘に萩匂う
骸骨のほかは ( けむり )にして消へる
明日を知らぬ子達のうえにおく倖よ
腹の減ることも仕事にかぞえたて
ひょうひょうと爭ふ風と裸木と
紙ッ屑雨にたたかれ風に舞い