なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(36)

 
 昨日私が準備している裁判の訴訟委員会が紅葉坂教会でありました。今回で訴状がほぼ完成し、11月に入ったらいつでも提訴ができるところまで来ました。「北村慈郎牧師を支援する会」の準備も少しずつ進んでいます。提訴の前に教団に免職撤回の意志があるかどうか、意志があれば私はいつでも話し合いのテーブルにつく用意があることを伝え、10月末までに私の方へ回答してくれるようにと「戒規免職問題に関する公開状」を、今日教団の方に送りました。10月17日~18日に常議員会がありますので、それに間に合わせました。
 多くの方々に支えながら、この問題を担っていければと願っています。
 さて、今日は「父北村雨垂とその作品」(36)を掲載します。
 
 父北村雨垂とその作品(36)
 
 11年度(1936年度)
 
玄関の豪華は銀行に如かず
冬と取り組んで敗けまい麦畑
もらい泣きそんな涙も少しもち
 
時計鳴る擬装の母と子のうえに
 
みんな棄てたらすやすやと眠れやう
 
鼻歌に似せて男が泣いてゐる
 
ねてゐても歯はキリキリと食ひしばり
三分の我慢がならず生きてゐる
畜生と違う涙があるばかり
生き甲斐を知らぬ男に子のありて
 
 12年度(1937年度)~13年度(1938年度)
 
冬は月も呪ってゐるぞ吠へろ ( いぬ )
 
半生をつづるに親という重荷
 
男親が育てた瞳底の鋭さ
 
糸の如き細き力が時を占め
 
結論に近き落葉と人の肌
 
食らうことの他は朱線が引いてある
病める子よおまえには晴衣をつくらう
 
泣くなこの父の白髪をみせてやる
 
離れゆく友をつくれり春なりき
地は五月人は欠伸を持ち余し
酒が足りないまだ憑いてくる知性
ものさしの鞭となる日に涙あり
貧乏にぴったりと添ふ古たたみ
創造の圧巻にたばこがあった
ニッケルと銀と見別けて生き残り
平和といふか鴉片とも見るか